ルーデルに付け加える言葉なし〜『急降下爆撃』を読む〜

急降下爆撃 (学研M文庫)

急降下爆撃 (学研M文庫)

 「一週間前ほど前に、君のことで総統に会った。総統は“ルデルがいると、どうもわしは飛行をやめろといいにくくなる。君が空軍大臣の職にいるのは何のためだね。ひとつ話してくれんか。ルデルに会いたいのだが、わしの願いを快く聞いてくれるまでは、会うわけにはいかんのだ”というんだ。これ以上、この問題について議論したくないな。君のいいたいことは何もかもわかっているんだから」
 ここまでいわれては抗弁のしようもない。私はいとまを乞うてクライン・アイヒュに飛び戻った。帰途、私の心はこの数時間の出来事で一ぱいだった。もはや命令を無視しなければならぬことを知った。私の経験、私の絶えざる個人的努力で要求を貫徹させるのが、祖国ドイツに対する私の義務なのだ。結果がどうなろうと、飛行を継続させるより外はない。自分の気持を裏切るわけにはいかないのだ。

■ルーデルの自伝である。自分が読んだのは昭和57年発行の朝日ソノラマ文庫版である。
■正直言って、なんといっていいかわからん。
■「空のコブラ」だの「鉄グスタフ機」だの、翻訳が古いせいか(なにせ文庫化の前は昭和27年という代物だ)、英語版からの重訳のせいかわからぬが、このごろ読んだ戦記物とは違った趣があった。前者はレンドリースのP-39、後者はイリューシンIl-2のことらしいが、「赤軍隼隊」などとなるとお手上げである。
■このあたり、たとえばAmazonの書評でも指摘されている通りだ。おそらく今翻訳されれば飛行機や戦車の名称なども統一されるだろうし、新たにわかったソ連側の記録などと突き合わせた注釈なども入ったりするだろう。ただ、なんとなく捨てがたい雰囲気のある訳文でもある。なにか、ちょっとした緩衝になってくれているような……。
■……などと、ルーデル(本書ではルデルだが、まあこのところの表記で)について語り始められないのは、なんというのかなんといっていいかわからんからである。
■名パイロットには「大空のサムライ」だの「アフリカの星」だの「無傷の撃墜王」だの「ラバウルの魔王」だの「スターリングラード白薔薇」だの「ついてないカタヤイネン」だのかっこいい二つ名があるものだが、ルーデルにはどうもしっくりくるものがない。
■まあ、「ソ連人民最大の敵」、「スツーカ大佐」などというのがあるか。しかし、ルーデルはルーデル過ぎてルーデルの前にルーデルなく、ルーデルのあとにルーデルなし、といった感じである。
■ゆえに、かれがヒトラーに心酔していたからどうだとか(本書はだいたい出撃してソ連の戦車を血祭りにあげるが負傷したりしてヒトラーに呼ばれて勲章もらって地上勤務しろって言われるけど嫌がってまた出撃して……の繰り返しといっていい)、そんなことはどうでもいいなという気になる。
■ボリシェヴィクが世界を支配したらどうなるんだ! という反共意識と同じくらいに強い、ドイツこそが東方の野蛮な遊牧民の盾にならねばならん! というある種の差別意識は、ナチスより前からあったものだろうかどうか、などというのも、まあどうでもいいという気になってくる。ナチの強制収容所の写真を見せられて、「ドレスデンはどうなんだ」と言い返したあたりのこととかをどう考えるべきかとか、ちょっとどうでもよくなるといったらなんだが、なんかどうでもよくなるというか。
■なにかこう、もうお手上げのような感じ、だ。どちらかというと、『椿説弓張月』の鎮西八郎でも見ているような気にすらなる。
■とはいえ、実在の人物であって、自伝である。どうしたものか。そりゃ人間だもの、みんなもどうせそうなるのだからと爆撃隊に志願すると思ったのに、自分だけだった! にはじまり、尊敬する上官や親しい戦友の死に悲しみ、ドニエプル川に爆弾を落として魚をとり、運試しと称してメッサーシュミット(おそらくBf109)に乗って出撃してみたとか……って、やっぱりなんかおかしい。
■ただ、いたってルーデル本人は冷静……いや、弾切れの時は思わず体当たりしようと思ったって二度くらい書いてあるけど……、まあ冷静であって、結局一個人がいくら奮闘しようと戦局はかわらないし、燃料がなくなれば戦争に勝てないのもわかっている。対空砲火に対しては、ありとあらゆるマニューバーを駆使し、下から見たら曲芸にでも思えるだろうが、こっちは必死なんだとも書いている。開戦当時はまだしも、後期になってくるとJu87も「かたつむりのように遅い」と自ら表現している。そして、なんども「自分は運がいい」と。そう、落ちはするが死にはしない。ついてないルーデル。

「エルンスト、俺の右足がなくなったよ」
「そんなことはないでしょう。足が吹っ飛んだら、話なんかしていられるもんですか。それよりか、左翼が燃えていますよ。不時着するんですね。二度ほど四十ミリ高射砲弾をくらいましたよ」

 でも、またすぐ出撃しようとするんだもの。
■そしてまた、冒頭の「もはや命令を無視しなければならぬことを知った。」である。自分自身の持つ最大の技倆を最大限に活かせるのは急降下爆撃機コクピットの中にしかないし、それが自分の役割なのだという強烈な意志である。そこでは敬愛するヒトラーも、上司のゲーリング元帥の命令も関係ない。自分がやるべきことをやるだけだという鉄の意志。これがゲルマン魂なのか(そういう言葉がドイツ語にあるか知らんが)、あるいはルーデル魂とでも言うべきなのか、こいつは凄いなというところだ。
■そういう意志を持った人間だからこそ、卓越した生命力を持つのか、類まれなる運を味方につけるのか、その三つが合わさってロータリーエンジンのように回るのか……。
「みずからを価値なしと思うもののみが、真に価値なき人間なのだ!」
■……こんな説教じみた台詞、いつものおれなら鼻白むところだが、なにやらルーデルが言うと違って聞こえさえする。いや、マジで。
■そんなわけで、ここのところ戦闘機乗りの話ばかり読んできたが、まあルーデルに関してはそういったものの区分などできんような何者かであって、もう、ちょっとこれは手に負えないというか、圧倒されたな、というのが感想でした。おしまい。

>゜))彡>゜))彡

……ガーランドはいったん地上勤務やるけど、最後はジェット機乗りに戻って終戦。ルーデルもジェット機部隊の司令にという話があったが、自分が乗れないからと拒否。そういえば、戦時中イギリスの「義足のエース」ダグラス・ベイダーを捕虜にした話が出てきたが、ルーデルの『急降下爆撃』にもベイダー出てきた。戦後の話だ。東方戦線で戦っていた者はソ連に引き渡されるはずで、もはやこれまでと観念していたときのこと。

飛行機に乗せられたときは、今度こそソ連行きかと観念したところ、イギリスへの方向をとったので、その時はさすがに嬉しかった。これについてはイギリス航空界にその人ありと知られたベーダー大佐の援助に負うところの多いのを後になって知った。

ベーダー大佐はわざわざロンドンから義足屋を呼んで、私のために、とても工合のいい義足をつくってくれた。代金を払うこともできないし、こんなにしてもらうわけはないといったら、大佐はむっとしたような顔を見せた。私は彼の好意と親切をありがたく受け入れることにした。

 「戦争はクリケットの試合ではない」が、終わったら終わったで、ということか。戦後捕虜になったガーランドの前にも顔出してたな、ベイダーさん。

……宮崎駿はクノーケの戦記みたいのは好きだが、ルーデルのはそうじゃないと書いてたが、まあたしかに多いに違うわな。しかし、「四発重爆」の時代に単発の急降下爆撃機で戦ったルーデル。それに、最初の出来が良すぎたせいで後継機がなかなか……というBf109やスツーカ、それに零戦とかいろいろなんかあるんだろうな、そういうの。

……『急降下爆撃』ではソ連の女性だけの飛行隊の話は出てこなかったが、女性だけの対空砲火部隊があるらしいという記述はあった。あとは、複葉機で夜間爆撃して眠りを妨害された話も。その搭乗者も女性だったかもしれない。