名捕手シモ・ヘイヘの悲劇〜『白い死神』を読む〜

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 人間としてのヘイヘは軍国主義者とは程遠かった。彼は生涯、物静かで、ほとんど内気といえるような物腰ながら人には親切な男、地に足のついた、自然を愛する人物として知られていた。戦争が始まったとき、彼はほかの男たちと同じく義務を果たすために起ち上がったのだ。ある意味、ヘイヘの悲劇は、彼がこれほどまでに優れた腕を持っていたことであった。そのために彼は、戦後の社会でときとしてつらい立場に立たされた。
 「あなたは成すべきことをしたが、あまりにも腕がよすぎた」戦後にはそんな非難の声が聞こえてきたりもしたのである。

■片方でハンス・ウルリッヒ・ルーデルの俺様自伝を読み、片一方でシモ・ヘイヘの伝記を読む。どちらも第二次世界大戦における超人といっていい。だが、人物から受ける人物像は正反対といっていい。

■ちなみに、「カタカナ表記ではハユハが原語の音に近いといわれってるけど、日本では一般的に云々〜」の記述あり。おれにしてはめずらしく新しい本を読んでるな。内容は昔のことだが。まあおれもめんどうなんでヘイヘにする。ヘイヘってずっと見てるとゲシュタルト崩壊して顔みたいに見えてくる。

「あなたは成すべきことをしたが、あまりにも腕がよすぎた」。むろん、戦後フィンランドの置かれた立場、ソ連との関係などもある。ただ、この言葉はなにかシモ・ヘイヘという人をよく表しているようにも思える。

■それゆえにか、ヘイヘの本にもかかわらず、ともに戦った人物の方が目立ってくるような気にもなる。本書に出てくるルーデル的な人物といえば、wikipedia:アールネ・エドヴァルド・ユーティライネンである。

 「罪びとたち、気をつけ!」
 予備役中尉アールネ・ユーティライネンはよく響く大きな声で号令をかけた。その声は、丘の稜線を越えて斜面を下り、小さな川と無人地帯を抜けて、おそらくはソ連軍陣地までにも届いていた。
 1939年12月24日、クリスマスイブの日で、川の名はコッラ―といった。
 声の大きさもさることながら、中尉の外見もまた、自らを恥じるようなところは微塵もなかった。身長187cmのたくましい体躯は活力にあふれ、自信と決断力がみなぎっている。サハラ砂漠の砂嵐と灼熱の太陽にさらされた顔、そして目の脇に刻まれた生々しい傷跡が、この男の印象に、どこか見る者を信服させる力を与えていた。

■言うまでもなくエイノ・イルマリ・ユーティライネンの兄である。兄は地上で活躍したとは彼の自伝などで知っていたが、〈モロッコの恐怖〉という二つ名(ソロモンの悪夢みてえだな)まであるフランス外人部隊上がりとは知らなかった。

■しかしこの〈モロッコの恐怖〉、前線で砲撃を浴びながら、状況を尋ねてきた電話に「実にはらはらする展開です」と、読んでいた推理小説について答えるような男は、それゆえに戦場にしか生き場のないような人物だったのかもしれない。そもそもは問題児ゆえに軍から追い出され、戦後も喧嘩で発砲して軍から追い出されてしまい、酒に溺れて決してよい人生を送れなかった。そこはルーデルとも違うし、ヘイヘの悲劇とも違う面がある。

■ちなみに、シモ・ヘイヘは多くを語らぬ人だが、奪われた故郷はずっと気にしていたが、戦場のトラウマのようなものはなかったらしい。淡々と日々の生活に戻っていったようだ。

■まあ、ヘイヘとて徴兵されていやいやながらに戦争に参加したわけではなかった。親の農家を継ぐつもりでいたものの、民間防衛隊に参加して訓練を受け、兵役を務め、予備役になったあとも「所属の民間防衛隊で国防の精神に基づく趣味を続けた」くらいである。その趣味とはなにか。

……特に彼が好んだのはフィンランド式野球ペサパッロで、機敏な捕手としてチームでも一目置かれる存在となった。
 ペサパッロは、アメリカの野球とフィンランドの球技クニンガスパッロ(「王の球」の意)を下敷きに、タハコ・ピヒカラ大尉が明確に民間防衛隊向けのスポーツとして考案、発展させたスポーツである。

 フハッ、ペサパッロ

 おれはこのWikipediaの項目を11月12日にブックマークしているが、「こんなスポーツもあるのか」と思ったていどのことである。本書を読む前のことだ。まさかシモ・ヘイヘがプレイしていたとは思わなんだ。ちなみに、この趣味は実戦でも活きたらしい。

 ヘイヘが携行する銃弾は通常、小銃用の弾が50から60発だった。加えて、彼はしばしばゲリラの火花(シッシキピナ)と呼ばれる柄のないタイプの手榴弾も携えていた。手榴弾の投擲に関しては、ヘイヘは民間防衛隊のペサパッロ・チームの捕手として、よく訓練を積んでいたのである。

 忍耐力と注意深さ、並外れた動体視力、そして強肩。きっといいキャッチャーだったに違いない。……って、野球のキャッチャーとどのくらい似ているかしらないが。しかし、機関銃の腕もいいという上に、手榴弾も使えたのか。やはり「あまりにも腕がよすぎた」……。

■まあ、ともかく予備役として射撃の腕も磨いていたし、決して国防意識がなかったわけじゃあない。いや、国防という言葉は大げさかもしれない。なにせ、結局、彼の生まれ育った家も農地もソ連の領土となってしまったのだ。フィンランドという小国の身近にはソ連という超大国があり、バルト三国などはあっという間に蹂躙されたという現実もあり、そう、戦争はどこか遠い話でもなんでもなかったのだ。

■というあたり、イッルの本やルーッカネンさんの本、『北欧空戦史』その他で知っていたけれどね。ただ、陸の戦い……というか冬戦争、継続戦争の森の中の、雪の中の戦いというのは初めて読んだ。それにしてもなんだろう、こう言ってはなんだが、労農赤軍というやつの悲劇というか。ベリヤの本だったか、この地に投入されたのは南カフカスの、雪も見たことない兵士たちだったとかいう話だが、ともかく数で押し切れというのは悲惨なものだ。エジョフシチナでろくな作戦も立てられなければ指揮官もいなかったというのもあるだろうが、それにしたってなんというか、後ろから督戦隊、前には〈モロッコの恐怖〉率いる白い死神たちでは……。

ゲオルギー・ジューコフは名将かといえば名将だろうが、じゃあベリヤと比べてどっちがたくさんの人を殺したのか? 悪人だったのか? ヤーゴダが薬剤師だったのは結局自称なのか? などとたまに考えたりもする(最後のは関係ない)。大祖国戦争でソヴィエットはファシズムに打ち勝った。祖国は守られた。だが、そのソ連はどうだったんだ。しかし、ナチスドイツの大帝国がヨーロッパに完成するよりマシだったのか。むろん、大日本帝国の孫の代として、この国について(「この国」という表現に愛国心がないと言っていた元自衛官がいたが、「この国」どころか「愛国心」という言葉はどこか自分と切り離して国を見ているようで好きじゃないって三島由紀夫が言ってたのを思い出した)考えないわけにもいかないが、なにせいささか情緒的になってしまうので、まあいくらか遠い国を参考にさせてもらうというところもある。

■まあ結局、戦いは数だよ、か。「コッラーは持ちこたえる」し、フィンランドは独立は守りきったが、ラップランド戦争はつらいところもあったろうし、戦後の立場も対ソという意味では微妙な立場に置かれることになる。

■ところで、Wikipediaの「コッラの戦い」にはこうある。

この戦いにおいては、指揮官であるヴォルデマル・ハッグルンド少将とこの戦いで英雄となったアールネ・ユーティライネン中尉の会話が残されており、少将が「コッラは持ちこたえるか?("Kestääkö Kollaa")」と尋ねたのに対し、中尉は「コッラーは持ちこたえます("Kollaa kestää")、我々が退却を命じられない限り」と答えたという。

 とある。本書ではマケ・ウオッシッキネン予備役中尉(元体操選手でオリンピックに出場したこともある有名人)が当地での戦いで銃撃を受け、死に際に「忘れるな、コッラーは持ちこたえるのだ」と言ったことが「フィンランド戦史に永遠に残る出来事」だったという。

■とまあ、こんなところか。本書全体を通した感想としては、わりと冷静に書かれたものだというものだ。なにか、著者の異常な熱みたいなものは感じられない。むしろ、狙撃手の歴史や、べつに彼らが殺人狂なんかじゃない、むしろ正反対だと弁護入れるあたり、フィンランド戦後史という背景、ようするに戦争の話、愛国心の話はあまり好まれないというあたりへの配慮などを感じたりもした(フィンランドにも「自虐史観!」とか言う人いるんだろうか。まあ本書はそんなところからは遠い)。なにせ、シモ・ヘイヘを中心にした本についてすら、本書の前に誰も書いていなかったという事実がある(……ということが執筆の理由にも、本人へのインタビューへもつながったわけだが)。というわけで、データ、資料に徹するでもなく、また、戦記小説にもならずと、よく言えばバランスのよいものと思えた。

■あとは、原著者が資料としたパロランピ『コッラーは持ちこたえる』、ヘイスカネン『コッラーの従軍牧師として』、ランタマー『国会からコッラ―川へ』、マケラ著『モロッコの恐怖』、そしてカール・マグヌス・グンナル・フォン・ハールトマンなるこれまた興味深い人物(フィンランド内戦で竜騎兵として戦い、リバウで飛行士の訓練を受け、イタリアで馬術学校を卒業し、アメリカに渡ると建設現場で働いたり運転手になったりしたり、厩務員になったりしながら大陸放浪し、最後はハリウッドで軍事関係の顧問になったらしい。スペイン内戦では17の勲章をもらい〈エル・カピタン・フィンランデス〉と呼ばれたとか)の回想録とか、全部邦訳がないらしけれども、どっか出してくれないものか。あとは、クールマイ戦闘団の話とかな。やっぱり『流血の夏』かな。では。

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