『二・二六事件獄中手記・遺書』を読む その1

二・二六事件―獄中手記・遺書

二・二六事件―獄中手記・遺書

……十二日朝、十五士の獄舎より国家を斉唱するを聞き、次いで、万歳を連呼するを耳にす、午前七時より二、三時間軽機関銃、小銃の空包音に交りて、拳銃の実包音を聞く、即ち死刑の執行なることを手にとる如く感ぜられる。磯部氏遠くより余を呼んで「やられていますよ」と叫ぶ、余東北方に面して坐し黙然合掌、噫、感無量、鉄腸も寸断せらるるの思あり、各獄舎より「万歳」「万歳」と叫ぶ声砌りに聞ゆ、入所中の多くの同志が、刑場に臨まんとする同志を送る悲痛なる万歳なり、磯部氏又叫ぶ「わたしはやられたら直ぐ血みどろな姿で陛下の許に参りますよ」と、余も「僕も一緒に行く」と叫ぶ、嗚呼、今や一人の忠諌死諌の士なし、余は死して維新の招来成就に精進邁進せん。
――村中孝次

 映画『日本暗殺秘録』のラストの方で、上記のようなシーンと、磯部浅一の凄まじい手記が引用されていて、これはただごとじゃないと思い本書を手にとった。
 内容はタイトルどおりだ。遺書は普通の遺族の手に渡ったものもあるが、なかには青年将校たちに同情した看守が密かに持ちだして保管していたものなどさまざまである。その経緯についても書かれている。本書の編者は「不肖、たまたま同事件に実弟連座自決するあり」という人物である。

 余万斛ノ怨ヲ呑ミ、怒リヲ含ンデ斃レタリ、我魂魄コノ地二止マリテ悪鬼羅刹トナリ我敵ヲ馮殺セント欲ス。陰雨至レバ或ハ鬼哭啾々トシテ陰火燃エン。コレ余ノ悪霊ナリ。余ハ断ジテ成仏セザルナリ、断ジテ刑二服セシニ非ル也。余ハ虐殺セラレタリ。余ハ斬首セラレタルナリ
――栗原安秀「維新革命家トシテ余ノ所感」

 手記や遺書、それぞれ書く条件や、それが後世に残されたかどうかなどもあり、ここに収録されているものがその人のすべてではないだろう。だが、確実に軍や国家にとってもみ消したくなるような上のような鬼哭、そこには凄まじい本物のなにかがあるといっていい。「余ハ断ジテ成仏セザルナリ」。このような表現は他の人にも見られた。
 君側の奸を一掃すれば、必ずや天皇陛下が……という思いで決起したが、逆賊として菊の御紋のついた小銃で殺される無念、怨み、これは凄まじい。とはいえ、おなじ栗原が書いた「妻に与ふ」の遺書たるや……やはりなにか「維新革命家」としての覚悟がにじみでているものの、家族への思いというものも強く感じる。

竹嶌継夫「死を前に控へて」

 そういう点では竹嶌継夫の手記というのはやや異彩を放っている。

吾れ誤てり、噫、我れ誤てり。
自分の愚な為め是が御忠義だと一途に思ひ込んで、家の事や母の事、弟達の事、気にかかりつつも涙を呑んで飛び込んでしまつた。
然るに其の結果は遂に此の通りの悲痛事に終つた。噫、何たる事か、今更ら悔いても及ばぬ事と諦める心の底から、押さへても押さへても湧き上る痛恨悲憤の涙、微衷せめても天に通ぜよ。

自分だけの一身なら死刑も諦められる。
然し一度母を思ふと此の胸の中はかきむしられ、腹は千切られる様に辛い。
噫、此の苦しみ、誰が知らう。
私の母は真底から私を愛して下さつた。私の母ほど子供思ひはいなかつた。私は真に幸福だつた。

 このように「獄中所感」で心情を吐露する。これもまた人間の窮極のところでの本音であろう。そして、手記は続く。

 青空が仰ぎたい。太陽の光を全身に浴びて、大地を心ゆく迄踏みしめたい。すがすがしい新緑の木の葉の匂ひを肺臓一杯吸ひたい。さうして精一杯働いて働き抜きたい。人はすべてを失つたとき此の心が湧く。
 六・二六

 悲しい事には、死の直前に来ながら私には生死の大安心がつかぬ。何といふ情けない事か。
 女々しいと笑はば笑へ、今の私は死にたくないといふのが本音だ。最後まで生きて親孝行がしたい。名も官位も何もいらぬ、親の傍で暮らすこと、これぞ現世至上の幸福だ。中江藤樹は流石に偉大だ。
 六・二八

 人よ、事がないと言つて嘆くな、退屈だといふな。
 人生事なきは是れ幸福の頂上、何の奇もなき平凡な人生こそ聖哲の教へそのままだ。私の一生の如きは最も誤れるものと言はねばならぬ。情けない一生であつた。母や弟達に対して済まなかつた。絶痛、絶苦を味ははせ何と御詫びをしやうか。
 六・二九

 生死の巌頭に立つて尚、生死を滅断し得ざる弱き人間。自分は死の直前に立つても不安心で堪らぬ。まだ生きたがつている。
 世の中に最も悲惨なものは信仰なき弱き人達だ。
 七・一

 昨夜は夢で祖母と母に会つた。又故父とも会つていろいろと話をした。一昨日は夢の中で弟二人と会ひ、やや嬉しやと話をしやうと思つた時、目が覚めた。夜半の一時頃だつた。せめて夢で会ふのが今日此の頃の無上の楽しみだ。従つて夜が待ち遠しい。
 女々しいと笑つてくれるな。俺は恋しいものは恋しい。昔の志士の様に偉くない自分は立派ぶる必要はない。
 七・四

 おそらく待ち受けている処刑という運命を前に、獄舎の中で自らの弱さと向き合う。たれがこれを女々しいと笑えるだろうか。そして、正式に七月五日に死刑の宣告が下る。だが、そこから急に手記の調子が変わる。

 七月五日午後五時半、突如天の啓示あり。吾れ信仰に入る。歓喜す。
 自分の乏しい力では到底駄目であつた。三十年間の学問や経験、そんなものは無に等しい。ありもしない自分の力で信を得やう、大安心をしやうとしたのは誤りだ。一切の自力を捨て去つて、絶対他力に委せた。
 生も死も仏天の思召だ。そしえ我々凡人は罪悪深重のまま弥陀仏の本願に依つて極楽へ往生さして下さるのだ。何の自分のはからひもいらぬ、疑ひもいらぬ、其のまま仏告を信じて仏に委せてしまへばいい。阿弥陀仏はともかくそのまま救つて下さるのだ。何だか知らぬが救つて下さるのだ。
 ◯
 阿弥陀仏は遠い遠い昔から私を待つていて下さるのだ。呼んでいて下さつたのだ。私が気がつかなかつただけだ。気づいたのも仏の御力だ。
 ◯
 噫、嬉しいかな。自分は喜んで死んで行ける。否、吾れ勇んで生きとほせる。
 生き通し、此の偉大な真理を切に体験した。生死を脱し何とすがすがしい事よ。固より生も死も無い。私は現に生きてゐる。永久に生きてゐる。
 今までふらふらしてゐたが、最早金剛の如く、大磐石の如く、無始無終に吾れは生きたり。讃へよ、阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 この七月五日午後五時半の彼の体験をどう見るか。人によっては、死刑が確定したことで狂ってしまっただけと考えるだろう。宗教的に狂ってしまったと。あるいは、精神医学的に見て死を受容する人間の段階であるとか、そういう分析もできよう。だが、おれにはそうは思えぬ。本当に確定された死を与えられたところで、ある境地に達した、あるいは本来そのようなものであるというなにか(as-it-isness)に気づいたのだと、そう思う。むろん、ここに現れている用語は浄土真宗のそれである。北一輝を初めとして、日蓮宗系が多い中でこれも異彩と言えようが、まあそういう知識の下地はあったに違いない。ただ、七月五日午後五時半より前はただの仏教の知識、学問にすぎなかったものが、七月五日午後五時半に……禅でいえば「悟り」に至ったのだと。あるいは妙好人のごとき境地に至ったのだと。「信」の外から中へ入ったのだと、そう思う。
 ……いや、そう思いたいのだ、おれが。いずれ訪れる死に向かい、つねに不安におののき、それを乗り越えられぬおのが弱さを嘆き、しかし、それでもその先に大安心のときがあってほしいと、そう願っているのだ。しかし、願っているうちはまだ自力だからあかんのだ。身を投げ出すくらいのところまで行かねばならぬ。かといって、やはり弱い人間にはそれができぬ。無駄な知識や自尊心が邪魔をして、ただ南無阿弥陀仏と唱えることができぬ。
 ただ、だからこそ、かの絶望の獄中にあって大安心を得た人がいたと、そう思いたいのだ。 

再生
死んだからとて嬉しい。生きてゐても嬉しい。嬉しい事に区別はない。生だとか死だとかに引つかかつてゐるから面倒がおこる。
 一超直入如来


 

 ……と、話が仏教にそれてしまった。磯部浅一北一輝あたりについては改めて書く。

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妙好人

妙好人

……この本についての感想を日記で探したけどなかった。これはよい本だ。