『二・二六事件獄中手記・遺書』を読む その2

二・二六事件―獄中手記・遺書

二・二六事件―獄中手記・遺書

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1989/02
  • メディア: 単行本

……吾等十六青年将校ノ赤キ血ノ上ニ日本ハ建設セラルカ、読ミテ此処ニ至ル、誰カ悲憤ノ血涙ニ袖ヲ絞ラザル
我今ヨリ悠然トシテ断頭台ノ露ト消ユ、男子ノ本懐亦之ニ過グルモノアランヤ、一度ビ詩ヲ吟ジテ快然タリ、ニ度ビ過去ヲ省ミテ憮然タリ、三度ビ立チテ刑場ニ赴ク
  シバシの別レ泣クデナイ
     サラバサラバ
     余ノ悪筆ヲ笑フ者ノ所ニハ化ケテ出ルゾ
           ヒュードロヒュードロ
                           合掌
 南妙法蓮華経
    天照大御神
 遺族一同様
           天国市極樂寺通四ノ五八六
             お釋迦様方 無位無官ノ帝王

 ――丹生誠忠。死を直前にしてこういったユーモア……むろん遺されたものへの心遣いにもちがいないが……、人間の底力のようなものを見る気さえする。

さて、磯部浅一だが

 ……というわけで、「その2」なのだけれども、この本を手に取るきっかけになった磯部浅一の書き残したものとなると北一輝の影響大きく、さすれば北一輝の思想とはなんぞとなり、また他の青年将校北一輝の思想の違い、すなわち国体論、天皇論になっていくあたりで、とてもじゃないが手に負えないというような。
 いや、各人の遺書の中にも北先生の思想の影響はあるがすべてじゃないとか、そういうところがちらほら見受けられたりとか。
 まあはっきり言ってこの事件で北一輝が処刑されるのは不当、不法の感じは強い。村中孝次はこう書き残している。

一、七月十一日夕刻前、我愛弟安田優、新井法務官に呼ばれて煙草を喫するを得て喜ぶこと甚だし、時に新井法務官曰く「北、西田は今度の事件には関係ないんだよね、然し殺すんだ、死刑は規定の方針だから已むを得ない」と。

 さて、磯部浅一だが、やはり読んでいて強烈さが違う。前回一部引用した栗原安秀の遺書も強烈だが(ただ途中まで書いて筆を置き、あまりにも未練を残しているようだから破棄してくれと看守に頼んだらしい。看守はそれを破棄しないで秘蔵していた)、天皇への言及において別格のところがある。磯部は村中とともに北、西田裁判の関係で執行が一年遅れ、その間にたくさんの文章を書き残したが、だんだん調子がきつくなっていく。

 こんなことをたびたびなさりますと 日本国民は 陛下を御うらみ申す様になりますぞ 菱海(引用者注:磯部の雅号? 故郷の村の名からか)はウソやオベンチャラは申しません、陛下の事 日本の事を思ひつめたあげくに 以上のことだけは申し上げねば臣としての忠道が立ちませんから 少しもカザらないで 陛下に申上げるのであります。
 陛下 日本は 天皇の独裁国であつてはなりません。重臣元老、貴族の独裁国であるも断じて許せません 明治以降の日本は 天皇を政治的中心とした一君と万民との一体的立憲国であります もつとワカリ易く申上げると 天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります 左様であらねばならない国体でありますから 何人の独裁お(ママ)も許しません、然るに今の日本は何と云ふざまでありませうか 天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥 政党 財閥の独裁国ではありませぬか、いやいや よくよく観察すると この特権階級の独裁政治は 天皇をさへないがしろにしているのでありますぞ 天皇ローマ法王にしておりますぞ ロボットにし奉つて彼等が自恣専断を思ふままに続けておりますぞ

 いや、とりあえずロボットという語が出てくるかってところに少し驚こう。Wikipediaを見るに、チャペックが1921年に「ロボット」を造語、1928年に學天則、そして1936年にニ・二六事件……、ちなみに磯部はこの語を「共産党の事件の様」で自分たちのつけた名ではないといい、「義軍事件」の名称が最もフサワシイのだ」と書いているが。しかしまあ、操り人形的なものとしての「ロボット」のニュアンスがどのような経路で、などという興味はわくが、1930年代といえばもうかなりその……まあ、このあたりは別の話か。

 悪臣どもの上奏した事をそのままうけ入れ遊ばして 忠義の赤子を銃殺なされました所の 陛下は 不明であらせられると云ふことはまぬかれません 此の如き不明を御重ね遊ばすと 神々の御いかりにふれますぞ 如何に 陛下でも 神の道を御ふみちがへ遊ばすと 御皇運の涯てる事も御座います。

 陛下が、私共の挙を御聞き遊ばして
 「日本もロシヤの様になりましたね」と云ふことを側近に云はれたとのことを耳にして 私は数日間 気が狂ひました、
 「日本もロシヤの様になりましたね」とは将して如何なる御聖旨か俄にわかりかねますが 何でもウワサによると 青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであると云ふ意味らしいとのことをソク聞した時には 神も佛もないものかと重ひ 神仏をうらみました、
 だが、私も他の同志も 何時迄もメソメソとばかりはいませんぞ 泣いて泣きね入りは致しません、怒つて憤然と立ちます、
 今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は 陛下を御叱り申上げるところに迄 精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄 陛下を御叱り申しております、
 天皇陛下、何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ、

 というわけで、本筋に戻ると、天皇を慕うがゆえに起こした義挙に対して、「君側の奸」の手によって、賊軍として処断されることへの怒り、怨みを書き残す者は多いが、さらに踏み込んで「陛下を御叱り申上げるところ」というところまで行くところが凄まじい。
 で、磯部浅一はこの凄まじさとともに、北一輝と「日本改造法案大綱」への絶対的な信奉を書いている。これこそわれらのコーランであり、「剣だけあつてコーランのないマホメツトはあなどるべしだ、同志諸君」とか言ったりしている。
 と、なると、やはり北一輝の思想への傾倒が違うのか? となる。となると、北一輝にあたってみねばと思うが、このところ読んだ北一輝の本は図書館のもので、手持ちのものは滝村隆一『北一輝 日本の国家社会主義』(図書館になかったので購入、未読)だけだった。

北一輝―日本の国家社会主義

北一輝―日本の国家社会主義

で、第四章第三節が「北一輝二・二六事件」だったのでとりあえずめくってみれば、「青年将校磯部浅一の特異性」などという項もあり、磯部は「北一輝の最も忠実な<思想的>かつ<政治的>な使徒」であったとパターン青しているのである。で、その他の青年将校たちの思想は従前の国体論のうちにあり、北の思想を金科玉条コーランにするには怪しいところがある、と微妙な関係があったと。あくまで、政治的、政策的なつながりでしかなかったと。
 ……と、なると、とりあえずこの本読んでみるかと一からめくってみれば、浅学菲才、高卒の悲しさか、「Machtの読み方がわかんない」とか「ゲゼルシャフトゲマインシャフトって兄弟馬?」とかいうレベルで読み進めるのに時間もかかる。けど、なんか攻撃的でおもしろいので読み切ろうとは思う。

本書感想

 で、横道にそれてしまったが、『二・二六事件獄中手記・遺書』の全体の感想というかなんというか。まあ、事件の歴史的意義や思想性とかは上に書いたとおりまだわからん。わからんが、ただ、めっぽうこれは興味深い本であった。
 ひとつには、やはり極限状態に置かれた人間の生の声のようなもの、刑務所や死刑という……こういってはなんだが実に興味深い状況に置かれた人間の声であるということだ。
 して、もうひとつには、その「生の声」の表現のされかただ。上の引用でもできうるかぎり本書に忠実にしようとしたが(複数文字の踊り字とかは勘弁)、いろいろの制約もあろうし、そもそも印刷・出版されるのが目的でないものが大半であるがゆえに用字用語もバラバラだし……というDTP的なところに目が行くところもある。だが、その必死に書きつけた手書きの感じというものに「生の声」感があるといっていい。
 そしてまた、選択された言葉遣い、文体とかそのあたりのことだ。申し合わせたかのように、似たような語句を用い、似たような漢文調を用いる。まあ、ここまで同じ境遇にある同志の教育、思想、教養、時代背景が軌を一にするのは当然だろうけれども。ただ、身を焼くような怒りや無念を表現するのに、おそらく彼らにとってはその調子こそがもっとも自然な自分の言葉だったのだろうな、などと思うのだ(もっとも、磯部浅一の後半とかちょっと凄いけれどな)。
 とはいえ、おれは「生の声」というものを信じていなくて、あるのは「っぽさ」だけじゃないかという、そういう考えがある。文語調を選ぼうと、おれが今こうして書いている適当なブログ調(?)を選ぼうと、絶対に言葉は出た瞬間に大量のロスト・イン・トランスレーションを起こしているって感じだ。
 ただ、そこをなんとか乗り超えようとして人間が人間になにかを伝えようとするところになにかがあるという、そういう漠然とした肯定感ある。
 そしてさらに、「なんかすげえな!」ってなるものは、そいつとそいつの言葉のロスト、そいつの言葉とおれのロストを経てなお余りあるボリュームがあるということで、なんかそういうものには、たとえその内容がどんなになにかおかしくても歓待したくなる。この本にはいくつものそういう言葉があった。そういっていい。

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