デパートの売り子にスルーパス


 おれは三歩下がって女のバッグを手に持ち、なにかうやうやしい心持ちで女のコートを手に引っ掛け、「休め」の姿勢で立ってる。
 「あ、このポケット温かい!」とダウンジャケットを試着した女が言う。「ですよねー! 私もそこが一発で気に入っちゃってー!」と売り子の女が言う。盛り上がってるみたい。悪くない。
 女が二歩近づいてきておれに言う。
 「どう?」。
 「色、真っ黒じゃないのが悪くないんじゃないですかね」とおれ。
 女が二歩戻る。売り子が「そうです、この色とっても人気があって、追加で入荷したばっかりなんですよー。真っ黒だとどうしてもコーディネートが……」。
 オ・ナイス・アシスト……か? おれ。ああそうだ、もうちょっと頑張れ、たぶん最初のショップで見たやつと、これのどちらかにしようとしている。そして、もう一度はじめのを見たいとおっしゃるはずなので、道すがらおれは「おれだったら迷ったら安いほうですけどね」と支援射撃もしてやろう。それに最初のやつは飾りのボタンが悪くない感じだったが、「ちょっと面倒くさいかもしれないですね」と言おう。しかし、だいたいあんたは背が高くて見栄えするんだから、なんだって似合うんだ。売り子がスタイルをほめるのはそれほど世辞じゃないと思うけどな。
 服屋の売り子とおれ。ときおり共犯者関係みたいになる。露骨にではないけれども、パスを求められているように感じることもある。ただ、彼女の買い物は彼女の買い物だし、なにかを売りつけるのはあんたの仕事だろうという気にもなる。だから、おれは三歩下がって従者みたいにしている。マヴリーキーみたいにかっこよくはないのだけれど。
 それに、接客トークを見るのは案外嫌いじゃない。むしろ好きだ。ときに「完全に崩した!」と感心したりもする。だが、一方で、試着に踏み切った時点で決まっていたな、というようなときもある。まあ、結局買うのは物なのだけれども……。
 まあ、いろいろだ。ここで「うまく売る店員には三つの特徴が必ず備わってる」などと言ってみたいものだが、まあそんなものはわかりゃあしないし、でっち上げようという気もしない。
 まあ、店によってマニュアルがあるのかもしれないし、その店員が一人で磨き上げた必殺のマニューバがあるのかもしれない。そういった商売の秘密があるのかないのかもわからないが、興味はある。で、おれの財布、おれの対人恐怖と関係ないところでそいつが披露されるんなら、まあ荷物持ちくらいどうってことはない。
 そしてときどき、たとえばこの日みたいに、おれがパス回しに加わることもある。よくわからないが、三角形が描けたかもしれない。メキシコのサッカーのようだ。おれはメキシコのサッカーが好きだ。おそらく、数人がかりで何かを売りつけるいんちき商法などというのは、メキシコのサッカーのようにほれぼれするようなものに違いない。それとも、もっとひどいものだろうか? 遭遇したことがないのでわからない。宗教の勧誘にもあまり遭遇したことがない。「店員が話しかけてくる店には近寄らない」というオーラが出ているに違いない。
 ちなみにおれはアウターとパンツはわりと恥ずかしくないもんを身に着けているつもりはある。それなりに悪くないもののはずだ。ただし、金が無いからそれなりに悪くないものを新品で買えるはずがないので、古着だ。どこかのだれかが、絶対におれが出さないような金額を投入したであろうもののお下がりだ。だから、今の流行りとか、今年の新作とかとは程遠いかもしれない。でも、そんなことは気にしないで、へいちゃらな顔をしている。シープスキンのコートにはきちんと手入れを欠かさない。心に錦、下着にジーユー、頭は金髪、眼鏡は昭和、左の耳に三つのピアス、無精髭。なぜか昔からスーツを着るだけでインテリヤクザ呼ばわりされる背の低い男、デパートで服を買ったことは一度もない。