東京へ、国立東京近代美術館『美術にぶるっ!』へ


 新しくなった東京駅。

 さんざん八重洲ブックセンターで時間を潰したすえ、たどり着きましたは東京国立近代美術館

 展覧会の詳しい解説などはこちらをご覧いただければよろしいかと。

 撮影可……自前の所蔵品は基本的にオーケーで、今回の場合4〜2階はほぼ大丈夫(撮影禁止マーク付きのもある)。ただ、一点を真正面からパチリ、というのはいかんのかな? インフォメーションで聞けばいい……というのでカメラなど持って入ったが、まあべつになんというか平面作品も多く、ほぼ持っていただけで単に手が疲れただけだった。

 あとはずらずらと自分用のメモとなりますか。原田直次郎の『騎龍観音』はなんかのめぐり合わせで見るのは多分べつべつの場所で3回目なのだけれども、絵自体にとくに感じ入るところもなく。いや、貴重品なんだろうけれども。だったら、川合玉堂『行く春』とか、西方浄土へ(海だから補陀落渡海か? だったら南か)一緒に歩いて行くような気になる横山大観40m走『生々流転』がいい。岸田劉生の『道路と土手と堀』は初めて見たけどすげえ迫力で包んで持って帰りたいと思う。古賀春江の『海』なんてのは、そりゃいいもんはいいわなというような。北脇昇の『空港』と『クオ・ヴァディスも好み。藤田嗣治の『アッツ島玉砕』と『サイパン島同胞臣節を全うす』は想像以上にでけえ! ってところで、おお圧倒的なというか。

 日本画のところでは川端龍子の『草炎』とかハワイアンシャツにしたい(←おれが絵を評価するときに上から一番目か二番目の表現)し、小茂田青樹の『虫魚画巻』もそのチョイスとかわいらしさ、金魚の配置などになにかしらの好もしいところがある。下村観山の『木の間の秋』には琳派っぽい黄金のゴージャスさがうまい具合に混じっていてこれもいい。横山操の『塔』は戦艦のブリッジのような迫力で、戦争画のコーナーに混ぜて置いといてもわかんねえんじゃねえかと思った。そんでもって、草間彌生横尾忠則初期作品こんにちは、このオキーフはおとなしいなとか、このパウル・クレーの『山への衝動』とかはちょっといいなとか。あと、どっか群馬の人いたな、群馬の人。
 それで第II部「実験場1950s」なのだけれども、土門拳の原爆ものとかすごいなとかいうところからなんだけれども、おれも腰痛がひどくなってきたり、女も体調が悪くなってきたりで、駆け足になってしまった。ボリュームありすぎる。浜田知明『初年兵哀歌』シリーズどっかで見たな、葉山館か(『版画と彫刻による悲しみとユーモア- 浜田知明の世界展」』神奈川県立近代美術館・葉山館 - 関内関外日記(跡地))、とか。この絵、映画『ANPO』(安保について考えようにも〜『ANPO』/監督リンダ・ホーグランド〜 - 関内関外日記(跡地))とか、まあそんなところで。あと、なんか原爆もののところで、毛と……外国語を話す白人や東洋人の一団がゲラゲラ笑いながら歩いていたのを見て(十八文字削除)。
 まあ、しっかり見るなら2日に分けるか、朝から行くべきみたいなところか。でも、美術の知識にない人間にとってはそこまででもないか。いや、しかし、それでもずいぶんじっくりみてしまったな、というクラスのものを取り揃えてお待ちしております、というところか。

 しかしまあ、腰が痛くなるのはどうしたものか。医者に行くか。あ、写真が白黒なのは白黒の写真を見た影響ね。

 展覧会もあれだね、こういうブレンドものと、シングルモルトというかシングルカスクか、まあワンマンショーであとに残る印象や記憶といったものはやっぱり違うよな。どちらが好きという話じゃないだろうが、好みの作家の個展となると、魂のやり取りは別格だ。

 しかしなんだろうね、まあ絵を写真に撮るというのはなんだけれども、能動的に作品に関わるところで、これまたずいぶんなんらかの意味の違いのようなものも出てくるのかもしらんかな。でも、名画の前に人が群がるのはいいが、みんながケータイでピロンピロンやってるのは面白くなさそうだ。しかし、三脚・フラッシュ禁止は明示されていたが、「どんなカメラで」というところがない以上、いずれ出てくる問題かもしらん。なんか一眼レフぶらつかせてた俺がいうのもなんだけれども(電子音は切ってたよ)。

 それでえーとなんだっけ。まあ東京駅は人が多いよな。

 やはり横浜くらいが、おれの人口密度の限界だ。それでもさらに山手駅くらいがいい。なんの話だったか。まあいいや、おしまい。