熊代亨『ロスジェネ心理学』を読む、が、門前で立ち去る

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く


 おれとてたまには新しい本くらい読む。70年前に書かれたアナーキストの本ばかり読んでいるわけじゃない。と、言いたいところだが、じっさいのところ、漫画ではない新刊本を買ったのは久しぶりのような気もする。まあそれだけ気になったというのは事実だ。著者のブログについてここで触れたこともある(私は私が信じる努力を信じられない私なのです - 関内関外日記(跡地))し、ブックマークをしたこともある。あまりにも時間感覚を失っているおれだし、ちょっと同時代、同世代についてまとまったものを読んでみようじゃあないかという気になったわけだ。同時代カンガルーが跳ねたんだ。
 ……が、なんというのか、もちろん世代的には合致したところで、人生いろいろ、死んでしまおうなんて、薔薇もコスモスたちも跳び出してゆく冷たい宇宙の遙か、おれについて書かれたものでもあるまいし。
 とはいえ、言うまでもないがおれは「全能感を維持するために何もしない人」そのものであり、自己愛に関するなんたらについてまったく、絶望的に、滅裂にぶっ壊れている人間なわけであって、読んでいて刺さるところもあるし、あるいは時代について思い返すこともある。そうだ、1970年代最後の年の生まれのおれ、小学生の頃は東海林さだおの『サラリーマン専科』など読んで「将来は普通のサラリーマンになって屋上でタバコ吸ってたらOLが逸らしたバレーボールを拾って」みたいな光景を当たり前のものとして受け取っていたのだ。バーコード頭のお父ちゃんが念願のクラウンを手に入れて嬉し涙を流すのだ。って、ちょっと個性尊重みたいなものとは程遠いか。むしろ、小学校の教師みたいなくだらないのが説く「個性、個性」を白々しくくだらないものだと思っていた。大人になれば、車も買う、結婚する、家も買う。きちんとした、灰色のサラリーマンになれる。そう信じていた。まさか昭和が終わるとは。

 今思い返せば、完全に自信過剰だったな、と。ただ、なんというのか、幼稚園の頃にファミコンが登場し、やがてネットと出会い……上の世代に比べればデジタルな存在だろうが、また下とも違う。あるいは、さっき書いたような、マイカー、マイホームがどっか既定路線にあったという感覚、これもまた下の世代とも違おう。そのあたりはしっくりくる。また、家族や都市のありようなんかについても、「なんか藤原新也みてえだ」というような感じで、首肯するしかないかな、などと。

 が、どうもなんかしかし、この書の処方箋にはしっくりこない。というか、「もう診断されて医者行ってるやつは対象外だから」みたいな断り書きもあるし。

 まあ、いずれにせよ、それほど役にたたない、というような。いや、なにかこう、ロストジェネレーションの中で、さらに人生をロストしてた時期があって、ようするにおれがおれについてわけがわからんし、ここに書かれているある種のモデルケースにあまり接近しなかったかというか。いや、「こいつ、おれを監視ているな!」というようなことであれば、また飲む薬が増えるだけだが……。つーか、そこそこは適応力あるのか、おれ? などと不遜なことも思い浮かんだりもし。
 そりゃ、小学校も最後は不登校、中学高校も結局一人の友人も残らず、一浪前提で適当に大学受験したらうっかり慶応とか受かったけど「まだ学校が続くのか」という息苦しさ、雰囲気の肌に合わないところもあって止めてしまい、立派なニートになって南関競馬にいそしんでいたら親が事業に失敗して家がなくなって一家離散して1月1日からゴールデンウィークまで無休で働いたりして(時給換算したら160円だった)、わりとわけのわからんうちに三十過ぎてて、脳がブチッとなって。でも、なんつーのか、子供のころから親は放任で「こいつも適当にやればなんとかなるだろ」って思ってる感じで、おれも素直に「おれも適当にやってりゃなんとかなるだろ」って思ってて、むしろ共働きの母は教育ママとは程遠く、また育った鎌倉の片瀬あたりも昭和の初めの頃はニュータウン的だったかもしれないが微妙に古く、かといって田舎でもなく……、あと、20歳年上の女性と10年以上つきあってるとか、なにもかも中途半端というか……。

自死か、路上か、刑務所か

 でも、半端なく確定しているものがある。金が無いということだ。将来がないということだ。賞与が出る出ないというより、給与が出ない、という零細企業ならではのボーナス。年金なんとか便は「おまえ将来的に生きるの無理だから死ね」と通告してくる。部屋は寒いし、自転車のカゴにはバナナの皮が捨てられてる。要するに金なんだ、金、全部金だ。金の問題だ。6億円当たれば病気ともおさらばだ。自己欺瞞だろうとなんだろうと、ともかくおれは逃げたい。レジェンドテイオーのように、アサヒライジングのように、サニーブライアンのように。けど、おれにそんな脚力はねえんだ。

 「あの人のように何度目かの仕事をクビになるとわかっていて次の職をどうしよう、借金をどうしようとなると、すべてがイヤになるんですね。以前の私のように首でも括るかということになる。私は死ねずにここにつながったわけですが、あの男のように死ぬ前に騒ぎを起こして、自分の存在を世間に知らせてやれという思いがなかったわけじゃありません」
 今の日本社会の特徴として言えるのは、格差社会の底辺・絶望層に棲むワーキング・プアたちが、かつては親の生きがいを担った「ナルシス王子」(自己愛に傷が入って、炎症を起こしたように自己愛肥大を起こした青年たち)であるということです。彼らは親と世間(親のメタファー)によって不当にも自らの地位を追われたと信じていますから、その恨みは深い。

つーか、絶望層のワープアの俺が絶望すんのは当たり前だし、結局、金がないし、将来というか近未来の見通し、職場がなくなって、このていどの性能の俺ではこの世に居場所がないという事実が問題であって、ともかく金がないのがやばいのであって、俺の頭をおかしくするし、そんなもんに心理療法だのなんだのの悠長さは間に合わない。そんなもの、「かつてアカデミックな心理学の世界でよく耳にしたのは、精神分析療法は白人中流家庭のさほど問題がやっかいでない裕福な子女以外には向かない」って上の本の著者が言ってたしさ(現代的な手法ではそうじゃないんだよ、という文脈ですが)。そりゃ俺は「性格を変えようという野心的な目標を持った、言語表現能力の高い神経症水準の患者」かもしれねえが、でも中流家庭でもなくなっちまった。もう金はない。くそったれ、15年、いや、20年遅かった。金だ、金で全部解決する、不安は全部消え去る! 金が真の豊かさではないとか、幸せでないとかほざくやつは全員笑える死に方しろ、今すぐ。 いいから金よこせ、働かないけど金よこせ!

今、おれに必要なのは脳を一発で変えるドラッグ、首をくくるロープ、よく切れる包丁、宝くじの一等、偽造した宝くじの一等! - 関内関外日記(跡地)

 引用は『「家族神話」があなたをしばる』(斎藤学)、「上の本」は『パーソナリティ障害の診断と治療』(ナンシー マックウィリアムズ/成田 善弘、神谷栄治、北村 婦美 訳)。まあなんでもいいが、ともかくおれが四六時中動悸が収まらず、それでも目の前の仕事に追われている、疲労、しかし休めば死だ。おれは年末年始の長い休みが恐ろしい。食えないことが恐ろしい。できれば、開き直って「自死か路上か刑務所さ」と言いたいところだが、怖くてかなわん。
 というわけで、強迫性障害だか不安神経症の上に現実問題ととしててめえの食うのに精一杯のおれは、コミュニケーション能力を高めるだのなんだのという段階の問題じゃあないということなんだ。だから、これからの世代のために、などという崇高な行いは、そういう階級の人間に任せたい。おれはせいぜい10ポイントプレゼントするのが関の山だ(あの日見た花のことを先生には話すなよ - 関内関外日記(跡地))。ほんとうなら、おれみたいな欠陥人間がなんとかそれなりにやってるというのを見せられればいいんだが、この世界にそんな余裕はなくなってしまったようだ。無責任なことはなにも言えない。見ろよ青い空、白い雲。公務員か国策企業に入れなかったら三択が待ってるぜ。新聞紙も舞ってるぜ。わかるか? もっと最強じゃなきゃ生きていけないんだ。ジョブズのひらめき、スタハノフの働き、そしてヌレイエフのように踊れ!
 でも、もしおれが模範的なロールモデルになれないとするならば、せめておれがモデルにしたいと思う人々のようにやるのも悪くないかもしれない。ただ、森田必勝じゃないが、誰を撃てばいいのか? というところにぶち当たる。プレーヴェはどこだ? いや、誰だ? そいつが問題だ。ただ、中濱鐵のようにやるべきなんだ(『中濱鐵 隠された大逆罪』を読む - 関内関外日記(跡地))。それに、三択じゃなくて獄で死ぬ手もあるぜって和田久太郎も、こないだのコンクリのババアも教えてくれたし、本格的に肉体の老いが来る前に決めてしまおう。たぶん寒がりになったのだって、唐辛子で腹をこわすようになったのだって、きっとそのせいなんだぜ。呵呵。

私にとって真のユートピアとは、「今も悪くないが、もっと良い時代を想像しよう」というものではなく、絶望と関わっています。現在の状況を続けていては生存できないため、ユートピアを実施するほかないのです。
スラヴォイ・ジジェク


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乳の海 (朝日文芸文庫)

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平成幸福(しあわせ)音頭

平成幸福(しあわせ)音頭

……藤原新也はたまにピントを外してんじゃねえかって感じることもあるけど、すげえ鋭く見通すところがある……ように思う。

……あれ、言及したのってこのくらいか?