さて、帰るか。

 選挙かなにかについて書こうとか思っていたのだけれども、わからないことが多すぎて正直お手上げといわざるをえない。ポリティカルなんとかというやつで数字を出してみたら、数年前より極左に振り切れていたけれども、いまいち左翼の自覚もない。基礎がないから柱も立たぬ。それで好きな大杉栄一派の本など読んでいても、まあある種の白紙主義であることは否めず、彼らが消え去ってしまったらそれまでというところはある。だったらクロ……クロポトキンあたりの本に立ち帰れといえばそうなのだろうが。
 唐突だが日本共産党に投票したが、日本共産党は大嫌いだ。敗北主義だ。「確かな野党」を振り切って、いい子ちゃんぶってて気に食わない。負けると分かっていて小選挙区に候補を立てて……なにかその費用、エネルギーをもっと集中させたりできないのか。一応は投票した人間の小言だ。赤旗をとる金もないし、取りたくもない。すばらしいアナーキストたちが無名なのも、お前らのせいだろう。
 で、一方で、最近はなんとか維新というのが流行っているそうで、橋下徹をテレビでちらりと見かけたら、「明治政府以来の140年の仕組みを……」などと言うではないか。フハッ、それは第二維新なのか? 大西郷が失敗し、北一輝が果たせなかったそれなのか? というところである。というわけで、もし維新いうならば北一輝を学ばねばならんのだというところもあって、ぽつぽつ本を読んだりもしているのではあるが。
 まあ、なんにも土台のない人間というのはフラフラとしたもので、わからないなりに読んでいく中で、他で読んだなにかとのリンクらしきものを見つけては、結束バンドでくっつけておいて……、まあ蔓植物の上手な誘引にでもなればいいが、大木が根を張り堂々と幹が育っていくみたいなことにはならない。だが、自分の学の無さ……機会を抛棄したことと、純粋に脳味噌のキャパシティの問題がある以上は、そうでしかありえない。
 話は変わるが、おれは金の話が大好きだし、金も好きだが、自分の金という話となると、途端に臆病になって、亀だったら首を引っ込めてしまう。ただ、この世はだれがなんと言おうと基本的に金がなくては生きていけないし、収入と支出をコントロールしていかなければいけない。おれの場合は将来設計もなにもあったものではないので、ただひたすら、こわごわと、吝嗇のどんぶり勘定で生活していくしかない。まあ、算数ができないという時点でどんぶりを使うしかないのだけれども。
 ああ、生活、これはほんとうに面倒だし、嫌になる。これほどうんざりするものはこの世にない。生もなければ活もない。そういう意味では、獄中記など読んでいると羨ましくてならん。こんなことはこれまで何度も何度もこの日記に書いてきたが、生活の恐怖と切り離されたところに一種の安楽があるんじゃないかと、そんなことまで夢見てしまう。もちろん夢だ。ただ、三食飯が出て……それだけでどれだけの安心があることか想像がつかないほどだ。そうなると、たとえば懲役という名の労働もたいへん悪くないもののように思える。そんなことばかり考えている。