国芳はじまったな展へ行くのこと


 なんでも擬似ミニチュア風にして見下すという風潮。

 見上げてみると、これはまた妙な感じもするが。

 やってきたのは横浜美術館国芳はじまったな展。例によって詳しくはこちらを見ればいいと思うよ。

 で、前後期の入れ替えがかなり多いのはたしか。今は後期。「馬のと骸骨のがない」というので同行者がやや落胆していたが、おれは川瀬巴水の新版画の現物を見てみたいと考えていたていどなので、とくに気にしなかった。以下、メモ。

■入ってすぐに出てくる大物が歌川国芳宮本武蔵の鯨退治》。さっき桜木町駅前で動物愛護団体がなんかアッピールしてたのを思い出して、シー・シェパードvs宮本武蔵という謎の対決が頭に思い浮かんで武蔵もいい迷惑だと思う。でもやっぱり戦わなきゃ、鯨と。

国芳がブレイクしたのは「通俗水滸伝豪傑百八人」シリーズというやつで、無理に腰を捻った一丈青のが出てた。それでそのあと、「本朝水滸伝豪傑八百人」シリーズというのを出したらしんだけどさ、なんつーのか、「三国無双当たったから、戦国無双もいけるんじゃね?」みたいな感じかよとか思った。あと、八百人豪傑探すの大変なんじゃないかと思った小並感。

■江戸の人達も「国芳水滸伝コンプリートした?」とか、「魯智深ダブった!」とかやってたのかと思うと(やってないと思う)、日本人は変わらないものだ。あ、魯智深のは月岡芳年の《魯智深爛酔打壊五台山金剛神之図》ってのがあった。

■まあ、横山光輝……なんだけど、おれのわずかな『水滸伝』知識も。そういう意味じゃ、本朝の豪傑とかわかんねーし(江戸の人も「こんなマイナーなの知らないよ!」だったかもしらんが)、「孟母断機」とか言われても「孟母三遷の孟母ならなんかガキ叱ってんのかな」とか想像するのが精一杯だし、なんつーのか、どんな洋の東西南北を問わず、絵画つーか、アートは知識ねえとなあってところはある。かといって勉強する気にもなれない。

■たまたま知ってるのに出くわしたらラッキー! くらいでいくと、どうしても頼朝の顔がこっち向けたいがために、なんかせっかく平家追討をたまわってるのに嫌そうな感じに見えるやつとか、こないだ現代語抄訳を読んだ鎮西八郎とその手下の礫のなんとか出てきたやつとか、俊寛僧都はちょっと知ってるとか、まあそんなんか。って、なんというのか、こういう作品……って、作品といっていいのかわからんが、この手の版画はそういうのを教えてくれるためにある、みたいなところもあんのかなーとか。なんか、字も総ルビだったりさ。したら、洋画の展覧会なんかに比べてお客さんがああだこうだと話してる声は多めのようだったかな。

■してもやっぱり、国芳浅草寺に収めた《一ツ家》なんかはえらい迫力でね。弟子が同じ構図で版画やってんだけど、各違いって、まあサイズもなにも違うんだけど、表情の感じとかね。

国芳はわりと守備範囲広いなーって感じで、茶目っ気洒落っ気遊び心あっていいねってのはあって。で、「荷宝蔵壁のむだ書」が展示されてて、一人の顔がすげえ桜玉吉タッチだなーって思った。時代的に逆か。あと、相合傘ってのは当時からあったんだね。つーか、日本生まれの風習なの? とか思って検索したらwikipedia:傘の相合傘んところに「荷宝蔵壁のむだ書」が参考画像として挙げられてるじゃん。おれってわりと目ざとい? しかしなんだ、そうか、ある部分でやけに未来に生きてるくせに、ある部分でやけに控えめな日本人らしい発想という感じはあるか。

■《えびざこ》って題のがあって、なにかと思ったらタイトルのままだった。

月岡芳年。たぶん前に横浜美術館芳年展やってたと思うんだけど、おれグロ苦手だからスルーしたんだっけ。で、今回もグロあった(妊婦逆さ吊りで鬼婆がマジで腹割く五秒前みたいなの)けど、グロくないのもあってよかった。さっきの魯智深もいいけど、《藤原保昌月下弄笛図》とかかっけえのな。

■名前の通り月にこだわりもあったらしく、晩年は月にちなんだシリーズ(「月百姿」)とかやってたとのこと。そんで、《雪月花の内 月〜》って作品があって、歌舞伎役者のバックにでかい月があるんだけど、その月が微妙に、なんかその色合いにグラデがかかっているというか、そういう風に見えて、これは凄まじいまでの印刷屋泣かせの末に出した(印刷屋じゃねえけど)ものなのか、単に紙の具合なのかどうか、まあおれには判別しかねる。確かめるためにアパートに持って帰ろうと思ったが自重した。

■で、時代というか、作風的にちょっと西洋の影響みたいなのがありますよパートになって出てきたのが渡辺幽香で、常設展示で見るたびにいいなあと思う《幼児図》も、今日はこっちに展示されいたりして。それで、この安部譲二みたいな顔の、トンボ握りつぶして石臼引っ張ってるガキがでかくなって二世五姓田芳柳《大兵士》になるのかと勝手に納得したりして。

■しかし、その渡辺幽香の《寶林院了厳居士像》の掛け軸なんて、もうなんかむちゃくちゃのむちゃくちゃにリアルで、これを床の間にかけておくくらいなら、芳年のなんか首とかぶっちぎれてるやつとかの方がぜんぜん怖くないとかいうレベル。無知なおれの勝手な印象だけど、「あ? 立体感? そんなんやりゃあできんのよ、オラ!」みたいな気迫が感じられた。初代五姓田芳柳の《外国人和装図》とかにも。先週(だっけ?)東近美にもそんな柿だったか湯のみだったかの絵があったような。だからなんだというか、原田直次郎の重要文化財とかより、こっちの方がえらくすげえなっていうか。

鏑木清方は……なんかこう、個人的にぐっと来るところがないのだけれども。ただ、しかしやっぱり《妖魚》とかそりゃすげえなみたいな。でも、鎌倉の美術館に行くほどじゃないなというのは変わらず。ほとばしる過剰さ、みたいなもんが好きなんで。

■江戸だろうと明治だろうと美人画描いてた人が現代に生まれてたら、やっぱりネット上で絵師って呼ばれたんだろうな、などと勝手に想像したりはするね。

■さらに余計な想像すると、江戸の人らの多くが知ってる歴史(というか講談? 歌舞伎?)の名場面を描く、というあたり、現代ならなんだ、やっぱりガンダムが大地に立ったりするところか、とか。まあたぶんさんざん論じられたり、たぶん制作されているものとは思うが、よう知らん。あと、《加藤の乱にて谷垣禎一が大将を押しとどめるの図》とか《小泉純一郎首相の引退勧告に憤然と席を立つ中曽根大勲位の図》とか、そういう歴史画やってる人いないのかしら。

■常設展の奥の奥でレーニン演じてた森村泰昌なんかはある意味近いか。そうでもないか。

■新版画の技法……とかよくわかんないけど、伊藤深水という人の作品なんかは3Dみてえに見えた。

■新版画、空のグラデーションとかきれいだし、まあなんというのか、きれいだったな。安心して飾っておける。でも、思ってたよりうっとりはしなかった。これでアニメやってくれ、くらいの感じ。悪くはない。

川瀬巴水もいいんだけど、笠松紫浪の綾瀬川の二点が好きだな、なんとなく。今、ウィキペディア先生で調べたら、平成まで生きてた人みたい。戦争画もやってたみたいだけど、どんなんだか見てみたい。

■まあ、こんなところで。しかしなんだ、今更おそいが、前期も見ておけばみたいなところは残った。全体量、スペース、貸し出し、いろんな問題あるんだろうけど、常設のあのいかにも「触るなよ、割るなよ」って感じのガラス作品の部屋とかさ。それともやっぱ、なんか作品保存のため、か。よう知らん。あ、でも、ガラス作品の中に華厳の因陀羅網の実践みたいなのが一つあってあれはよかったかな。

■見終えて外出たら暗かった。レンズは古いMINOLTAのAF20-35mm/F3.5-4.5。APS-C機だとそれほど広角でもないし、中途半端かしら思うおれの理解が正しいのかどうか算数ができないのでよくわからない。おしまい。