年頭所感 一心不乱に死に向かい


 一月一日になった。おれは去年の一月一日のことを思い出す。ロードバイクで走り初めをしていたら、どこかから脱走してきた小さな犬に出くわした。犬は一心不乱に車道を走っていた。おれはなんとか助けられないものか追いかけたが、ついに助けられなかった。犬は死んだ。おれの2012年はそのように始まり、そのように過ぎていった。

 
 おれも、あのように死に向かって走っていた。ダイエットのためのジョギングから、ジョギングのためのジョギング、走ることに専念することが、もとより存ずる精神の強迫性に拍車をかけ、ついに希死念慮もきわまって大安心の境地に至ったかと思えば、ある朝、身体のなにかが断線した。おれは精神科だか心療内科だかに通うようになった。おれは走るのをやめた。

 おれは上に「強烈に高まっていてほとんど決心までしていた希死念慮というものは、やはり薬物によって抑えられているという実感がある」と書いた。読み返して正確ではないように思う。希死念慮のところを「自殺衝動」、あるいは「自殺への具体的な移行」などに書き換えたほうがいいかもしれない。
 
 たしかに薬は効いている。おれの生活を成り立たせるところのおれを破綻させないようにしてくれている。いくつかの薬を試し、量を増やし、なんとか落ち着けるところには落ち着いた。ただ、減る方向に行く予感はまったくしていないが。
 
 ただ、おれは確実に、この世に生きにくい性質のパーソナリティを持ってしまっている。幸か不幸かもっと若い内に医療的に対処するほどひどくはなかった。おれは精神科だか心療内科だかの通院者で、ちょっと外に出るのも向精神薬とα・β遮断薬が必要だ。ただ、もっと重度の人間から見ればその程度のことだ。常人が飲んだらすぐに倒れたり死んだりするようなレベルの薬じゃない。ひきこもり状態から家がなくなったところで施設に収容されるほどでなく、自傷行為に及んだところで気を落ち着かせるていどの瀉血でしかない。

 おれは下層の働き場をえて、それなりに生きはしている。しかし、五年どころか明日のことすらわからない場だ。ここが終われば次などない。なんら資格もなく、高卒で睡眠障害と精神の障害を持ち、対人恐怖と犯罪的気質を持った三十半ばの人間が、この経済状況下で新たな居場所を見つけうることなどできようか。きちんと大学やそれ以上の学があり、心身ともに健康で、意識の高い若者たちが努力して職をえられぬというのに。
 
 いや、そうじゃないな、それはあとづけだ。おれは例えば求職活動などということを想像しただけでうんざりするし、さらなる傲慢をいえば、どこかに潜り込めたとしても、新しい環境であるというそれ自体が恐怖でしかない。それに飛び込まなければいけないくらいならば、死んだほうがずいぶんと楽だろう。早いか遅いかの違いにすぎない。この世界のすべての死についてだって。

 ただし、おれのある種の執着心というものは、それなりに強い。生への執着。いや、それならばもっと努力をするだろう、積極的に動けるだろう。安楽への執着、いや、おれの心が安楽であったためしなど、物心ついて以来なかったか。すべて不安に支配されていたように思える。タイムマシーンがあれば、おれは子供のおれにいろいろの脳の薬をプレゼントしてやりたい。

 ……いい言葉が見つからない。ホメオスタシス? 変化したくないこと? ただ一人ぼうっとしていたいこと? 殻にこもってなにもしないでいること? ひきこもっていること? そうだ、おれは変化を嫌う。怖がり、恐れる。

 生から死へ。ものすごく大きな変化。おれは怖い。
 自殺。ものすごく強い意志と行動力。おれには欠けている。
 夕まぐれの路地にふっとすべりこむようにして死ねればいいのだけれども。

 おれはこのおのれの醜さと弱さを、昨年一年、薬の力でさらに冷徹に見て、了解した。さらにそんな薬の力を借りてようやく維持できる自分というものの、社会的価値のなさ、不必要さというものもさらに了解した。

 やはりおれは早く死ななければならない。死に向かって走っていかねばならない。おれはあの犬のように走っていかなければならない。二心あってはならない。自分を意識する自分があってはならない。取り乱してはいけない。乱れるなら乱れるで、完全に乱れなければならない。死にならわなければならない。死にならえ。

 むろん、死はこちらから走っていかなくとも、向こうからやってくる。現におれは毎日老いている。機転や発想も失われ、歳相応の経験も知識も欠いたまま、ただ不安心、被害妄想、誇大妄想、虚仮だけに支配された廃人になる。おれが世界を必要としていない? 世界がおれを必要としていないのだ。

 もう手遅れだ。選択肢などありはしない。世を行き交う情報、目に見えないメッセージ、督促状は積み重なっていく。せめて最後に横超するための脚力がなければ、おれはよりいっそう苦しみの泥にまみれる、人に迷惑がかかる、また犬が死ぬ。返せぬあてのない借りなど作りたくもない。せいぜいユズリハの葉の落ちるように消えてなくなり、後から地獄を生きる若者たちにこの場を譲ろう。

 さて、おれの言葉はみな嘘だが、嘘の中の嘘を見極め、つかみとり、ポケットの中にしまいこんでおかなければならない。おれの言っていることとやっていることに矛盾がある? 言っていることのなかに矛盾がある? けっこうなことだ。

 精神がぶちあたるさまざまな矛盾、矛盾だけが現実のすがたであり、現実性の基準だ。想像上のものの中には矛盾がない。矛盾は、必然であるかどうかをみるためのものである。
シモーヌ・ヴェイユ

 さあ、執行までの猶予はあと何分? あと五分? あと二分? 締め切りのベルの鳴るときになってあたふたとしては、わずかばかりの面目も立たない。さて、いざいかん焉、2013年!