心房細動って、おれは馬かよ!


 メンタルヘルスな病院へ。予診とでもいうべきか、まず別室で看護師さんに話を聞かれる。毎回決まった薬を服用し続けて何年、何十年という人ならば、そこで大方の話はついて、ちょこっと先生に顔を出して終わり、という流れだろう。おれもそんなメンタルヘルシーに落ち着きたい。
 いや、おれも調子が安定してればそのようにして、「薬、いつものでいいです」というところだろう。だが、そうはいかない日もある。今回がそうだった。冬に入ってから増した陰鬱、さらにいらいらの積もってつまらぬことにも抑えきれぬ憤激。相手は面倒くさいのでいつものとおりにしたそうだったが、「今日はそこんとこ相談せなんだら、格好つかんけん」とはっきり言う。
 で、本診察、診察室に入ると、先生、机になんか医療専門誌みたいなの広げて待ってた。
 「今までべつに嘘をついてたわけじゃないんだけど、なんていうのか、信頼関係みたいなものができるまで言わないほうがいいかなっていうのがあって。私ね、あなたの場合はこれじゃないかと考えていた」とその専門誌の文字を指さす。
 双極性障害
 「これね、いきなり言うとショックを受ける人が多いから……」と医師。
 “ええー! なんだってー! そんなはずないです!”みたいなリアクションでも予想していたのかしら。
 「いや、おれ、ぜんぜんそういうの無いというか、むしろ自分の脳みそを知って、コントロールしたいって思うんですけど」
 「そう言われると助かるわー」
 「そっすかー」
 それで、「Akiskalってなんだ? 人名か?」とか思いながら(人名だったwikipedia:ハゴップ・アキスカル)バーっと記事に目を通しながら話を聞く。
 「でもあんまり考えたことなかったでしょう」
 「そうですね、躁状態っていうか、楽しんでるみたいな感覚とかぜんぜん生きてきて薄いっすからね」(でも、この自覚症状の多分野に興味だの、対談に出てくる仕事の話(≒過集中?)みたいなところは思い当たるふしあるかな。そんなに極端じゃねえこともあるからスペクトラムか?)
 「双極でも、うつ寄りに強く出る場合もあるわけよ。ところで、動悸みたいなのはおさまらない? 今この場でも?」
 「いや、そうですね、ここんとこずっとひどいし、今もですよ」
 と、医師、指先で脈だか何だかを計測する簡易マシンを持ち出す。睡眠時無呼吸症候群の予備検査のとき見たわ。
 「ちょっと指出して、眼をつぶって落ち着いて」
 ………。
 「ありゃ、ちょっとこりゃ……。心電図の検査とか人間ドックとか最近やりました?」
 「あー、SASで入院検査したとき電極とかつけたと思いますけど、それ以来は」
 「実はここで心電図とれるけど、やります? 時間大丈夫?」
 「いや、なんかそれじゃあ折角なんで」
 「じゃあちょっと、これでも読んでて待っててください。あとで返してね」
 と、どっかの製薬会社の双極性障害の薄い本を持たされて待合室へ。最後の2ページになんとかいう薬の臨床結果など載っていて、これを試そうとしたわけか、などと思う。発行は2010年だったか、「次のDSM改訂では」みたいな話とかしてら。
 ひと通り目を通しを終わって別室に呼ばれる。靴下脱いで胸を出して狭いベッドに横たわる。両手両足首を挟まれ、心臓周りにキュポキュポなんかを付けられる。秋吉久美子。先生が来るまでしばらく安静にしていてください、と言われる。
 おれときたら、笑いをこらえるのに必死だった。なにって、脇腹のあたりのキュポキュポがたまにキュポって、くそくすぐったい。おれはおっさんだけど敏感なんだよ、ちくしょうめ。
 それで先生到来。なんかを見てまた「あらら」みたいなことを言う。なにか二言三言交わしたような気がする(旧名アルマールは今朝一錠、とかだったか?)が、「会話するとあれなんで、いいとこ取るから目を閉じて楽しいことでも考えてください」などと言われる。でも、おれは楽しいことなんて思いつけない、なんてのは形而上の話じゃなくて、とにかく脇腹をくすぐるキュポ野郎と戦うのに必死だった。ニヤニヤならまだしも、ゲラゲラに行かないように必死だった。
wikipedia:心電図

巨乳の患者においてはあえて乳房の下部の胸壁に電極をずらす必要は無く、むしろ乳房からの反射波によって心電図の電気信号が打ち消されて判読が困難になることすらある。

 して、また再び診察室へ。医師自らさっきの小型指先測定器を装着する。
 「ちょっとこの下の方の数字見てて。最初は動くけど、ほら落ち着くでしょう」
 数字は61くらいで安定した。そして、今度はおれにつけて自分で見てみてください、という。数字は90だとかで始まって、安静にしろとまた言われたのだから落ち着いてみるとぐんぐん下がって下がって、45くらいまで下がって、そこで安定するかと思いきや、こっちは落ち着いてるつもりなのに今度は上昇を始めて90近くまで行って、そうすると今度は急降下する。この脈拍(だよな?)の動きというのがなんかよくないものらしい。
 そして、話はこのエントリーのタイトルに戻る。心電図のプリントアウトのコピーを渡され、そこにあるのは「心房細動」の四文字。
 「知ってる? 心房細動? 長島さんがなったやつで、あれは脳梗塞に……、知らない? 巨人の長島さん?」
 「いや、自分競馬やるんすけど、心房細動っつったら馬のイメージしかないっすよ!」
 「ええ、馬? 知らないなぁ! 馬、なるの! なったらどうなるの!?」
 と、よくわからん大笑い。
 そういうわけで、とりあえず今回は双極性の話は置いておく。アルマール(旧名)の処方も止める。早く大きな病院の循環器内科で見てもらってください、ということになった。動悸のひどさゆえ、アルマール(旧名)を取り上げられるのはつらいものがある。一方で、いきなり双極性言われて、さらに心房細動とか言われて急展開すぎるし、この話、打ち切り近いんじゃねえのか? とか思った。おれの戦いはまだまだこれからだ! 次回作にご期待ください。
 ……というか、本当に心房細動なの? まずおれは高齢者じゃねえし、競走馬でもねえし。それにアルマール(旧名)とか飲んでるし、医者となれば多少は緊張してるし、キュポキュポはおれをくすぐるし……。あやしいものだ。まあ、調べるだけの根拠があって調べたいから調べるだろうが。

>゜))彡>゜))彡

……心房細動だとしたら、アルマール(旧名)はアカンらしい。αの遮断が悪いのか?

……動悸≒不安心を抑えるために血圧、心臓にアプローチするというのは悪くないな、と思っていたものだったが、もしも先に心臓まわりに妙なことがあって、その動悸が精神に悪影響を及ぼしているという逆コースという可能性もあるわけだ。心身というものはまったくやっかいだ。心の病と思ったら身体の病を、身体の病かと思ったら心の病も同時に疑い給え。

水に似た感情 (集英社文庫)

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 躁鬱というと、中島らも描いた強烈な躁状態の印象が強いので、正直想像だにしていなかったというところはある。