見てきたように話す


 「見てきたように話す」って、「見てもないのに、伝聞かなにかをさぞ自分の目で見てきたかのように話す」ってことで、まあ眉唾もんだろうということなんだけど、じゃあ、だからといってその内容が誤りとも言えない。
 「見てきて話す」ものが眉唾もんじゃないかというとそうとも言い切れず、むしろ「見てきたんだ」というところで話し手のドヤ顔成分と説得力が増してしまう場合もあって、それがいんちきだったら「見てきたように」に比べて害が大きいようにも思える。
 「見ていないことは話さない」というのは、ひとつには誠実な態度と言えるが、言わないでいることがいんちきに対する白紙委任にならないとも限らない。
 「見てきて話さない」というのは、なにか意味深であって、人々に疑団をもたらすこともあるだろうが、かえってそちらの方が重みのある態度ともいえる。一方で、なんにもなかったり、彼の不利益によって話すべきことを話さないのであれば、それは不誠実とも言える。
 情報信ずべし、また信ずべからず。