鎌倉には武家精神が足らなかったのか?

 ただ、鎌倉は武家文化の存在を決定づける傑作がないことが、国外の専門家にどう映るか不安もあった。「目に見えない侍の精神性が理解されなかったのか」

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1305010003/

 元鎌倉市民……といっても津西の方の人間が言うが、鎌倉に武家文化なんて合ったのかと言いたい。イコモスの調査員の横を早馬が通り過ぎて行ったり、「尊皇攘夷!」と叫びながら斬りかかる侍がいたのかと言いたい。流鏑馬でもいい。あるいは、御所か小袋谷のあたりに武家集落をでっちあげて、「ここにはアーミッシュのように昔ながらの生活をしている武家たちがいます」とか言えなかったのか。彼らは会津中将の命令で屯田兵をしています。あ、あそこに西行が! 
……え、捏造だめなの?
 というか、武家文化といって、行ってみたらあるのは神社仏閣の類だし、武家がらみとはいえ源頼朝の墓にしろ比企一族の墓にしろ、墓だらけで気が滅入る。そのうえ、黄金でできていたりしない。きわめて地味だ。もちろん、鎌倉仏教と武士の精神性……無学祖元が、電光、影裏に春風を斬らん……が、とかいったところで、やっぱり弱いか!
 というか、元鎌倉市民というより、現横浜はじまったな民のおれ、というより、ある種の業者として鎌倉が世界遺産から決定的にジェットソン! されたことについては、マジ予想外というか、きついなーというところなのは一つある。今からでいい、怒りと悲しみのあまり、大仏が立ち上がって歩いて行って、江の島を引きずってきて稲村ヶ崎あたりにくっつけた秘蹟とか作って新規登録目指したりしてくれといいたい。そのときの大波が稲村ジェーンです。