ジェイムズ・グリック『インフォメーション 情報技術の人類史』を読む

インフォメーション―情報技術の人類史

インフォメーション―情報技術の人類史

 第1章「太鼓は語る」。アフリカのトーキング・ドラム。太鼓によって遠くの仲間に情報を伝える手段。そのさい、たとえば「鶏(ココ)」は「鶏(ココ)」とのみ表現されない。わざわざ「ココ オロンゴ ラ ボキオキオ(キオキオと鳴く小さな鶏)とする。「月」ならば、「地上を見下ろす月」とする。

 紋切り型の長い形容句をはためかせながら、トーキング・ドラムは言語の冗長さによって曖昧さを克服している。

 ……おれねえ、出だしのこのエピソードにすっげぇいいなぁって思ったの。「いいなぁ」ってのは変だけど、そういうもんだよなぁと思ったの。それと同時に、たとえばアフリカじゃなくこの日本の枕詞ってのはひょっとしてそういうもんじゃなかったのかとか、勝手に連想して(なーんの根拠もねえよ)、必要と不必要の表裏一体みたいなところの、不必要だけれども必要なもの、その「もの」から人間の詩的なもの、もっと言ってしまえば「美」みたいなものが生まれたとしたら、とか思ったわけ。根拠もねえし、この本で取り扱われている領域じゃねえよ。でも、もしそうだとしたら、そりゃあおもしれえよなぁってさ。そう思わねえか? おれはそう思ったんだ。
 それでおれは、頭の斜め上のどっかにその発想をもやもやさせつつ、この『インフォメーション』を読んでった。仕事とかしてても、はやく家帰って続き読みてえなあとか思いながらだ。高卒、文系、算数で落ちこぼれたおれが「ナイキストハートレーの公式」とか出せれてももまったく意味わかんねえ(というか読み方からわかんね)んだけど、この本は飽きさせない。おれがどれだけの情報を受け取れたかどうかとかは知らねえが、まったくもって驚異だ。そんな15章とエピローグにプロローグだ。
 なんつーのか、理論の話をしながら、「わかんね、やめた」ってさせねえ工夫があんだな。それを考えてた奇才なり天才なりの人となりやエピソードをスッと挟んでくんだよな。おれのようなのは、そういうところにあっさり釣られる。ホーキングの『重力崩壊における物理学の瓦解』が何言ってるのかわかんねえし、

 二〇〇四年になってとうとう、当時六十二歳のホーキングは賭けに負けたことを認めて、量子重力がやはり単一性を有すること、情報が保存されることを示す方法を見つけたことを宣言した。

 とかいう意味もわかんねえけど、賭けの代償としてジョン・プレスキルに渡したという2688ページに及ぶ『野球総覧:野球百科事典究極版』ってなんだよ! みたいな。ちなみに2688は2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数なんだよ! 嘘だけど。
 というか、そういうエピソードという意味では第4章「歯車仕掛けに思考力を投じる」が出色だろうか。チャールズ・バベッジと階差機関、そしてラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・バイロン・キング! ……って、おれ、いわゆるスチームパンク読んだことなかった! なかったけど、このあたりの話を読んで何かを刺激されねえわけにはいかねえよって、つーか、だからこそいろんな作品があんんだな。読んでみよう、いつか。
 あとはなんだ、腕木通信とか知らなかったなぁとか、「遺伝子」という言葉自体、言葉先にありきだったのか(だからいまいちピンとこねえのか)とか、電信というものが始まったころ「紙がここに残ってる!」ってファックス普及時の昭和四コマみたいなやつがいたんだなぁとか……。
 どうでもいいことか。だが、おれにチューリング・マシーンやクロード・シャノンについてなにを語れようか。エントロピーという言葉についていくらかよく知れたと言えようか。言えねえなあ。サイバネティックス、DNA、「そうだったのか!」みたいなものがあったのかなかったのか、なんかもやもやして、わかんねえなあ。
 けど、それでも著者はおれをひきとめて「ほらほら、ボルヘスの図書館とウィキペディアの話だ」とか、インターネットと「名前」の問題だとか、世界の情報量の総和だとかおもしろい話してくれんだよね。なんとなくだが、全体で円を描くようにしての15章。行ったまんまの直線って感じじゃない。それがまたいい。
 つーわけで、おれはまあ、なんだ、SFを読むように、本書を読んだといえる。それで、下手をすると、たとえば晩年にシャノンの語ったという「鏡張りの部屋」の観念(「理にかなった、可能性のあるすべての鏡張りの部屋を導き出すためです。もしあなたがその部屋の内部からあらゆる方向を見たら、空間が一群の部屋に分割されていて、あなたは各部屋に存在し、それが矛盾なしに無限に続いていくのです」)を見て「華厳の重々帝網じゃねえの」とか薄っぺらい仏教用語が出てこないように注意もしてた。まあ、べつに注意する必要もねえけどさ。まあ、そういうふうの読みたきゃ松岡正剛でも読みますとも。
 そんで、うーん、この、なんといったらわからねえが、「情報」というものの面白さ。わかんねぇけど、おれはなんか好きなんだよ、そういう話が。改めてそう思った。いや、まったく。それで、おれよりもっと賢く、この本を読み解ける人がいたら、読んでほしいなあ(「読む必要なんてねえや」ってくらい賢い物知りは……知らね)とか、そんなん思ったんよ。そういうトーキング・ドラムよ。cn u rd ths? いや、まあ、そういうわけで、そんじゃ。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡

 翻訳で失われるもの……。俺は翻訳物の小説をよく読むけれど、そこにはいつも、それに関しての意識があって、それがとても興味深く感じられてならないのだ。

俺はべつに古書に萌えているわけでもないし、エウセビオス萌えでもない。ただ、なんか、「あることがらや言葉が、時間や文化や言語の間を移動していくうちに、意味が変わってきたりするよね」萌え、みたいのはあると思う。

……まあ、結局、「情報というものになにかある」と思っても、算数で落ちこぼれた人間には情報理論はわからんわけで。それに、プログラマーにだってなれやしない。やはり「まだ人間じゃない」から生後堕胎でもされりゃよかったと思わなくもない。生命と引き換えに未来を見られれば本望だといったバベッジの前でも言えるの? という話だが。