地に足の着いた狂気か? 宮崎駿『風立ちぬ』を観る


 宮崎駿の新作『風立ちぬ』を公開初日に観た。せっかくだから感想も初日に書いてやろうと思ったのだけれど、そうはいかなかった。言いたいことがありすぎるのかなさすぎるのか、言いたいことがあるのにうまく言えないのかよくわからなくなった。たんに疲れてしまっただけかもしれない。
 一日経った。おれの理解しうる範囲でいえば、こいつは結局、ある種の狂気を描いた映画だった。美しい狂気の夢だった。宮崎駿の「企画書」にある通りだ。ただし、『ポニョ』みたいに得体のしれないそのままではなく、地に足の着いた映画だ。地に足が着いているのに、夢は空をかける。奇妙な話だ。おまけに男女の愛まで描いている。不足もなければ過剰もなかった。沈頭鋲の話で小一時間ということなんてなかった。
 おれは鑑賞中、二度ほど泣きそうになった。一回目はwikipedia:カプロニ_Ca.60(去年の7月にブックマークしている)の飛行失敗? いや、違うか。もう忘れてしまっている。ともかく、二郎の夢の飛行から映画に持っていかれたまま、またカプロニと堀越二郎の夢になって、そこでぐすりと来た。劇場内で一番早かったんじゃないか。
 そして、最後の最後、飛行機の天国あるいは地獄、ロアルド・ダールが描き、『紅の豚』で映像化された、あの空の下のやり取り。零戦は美しい。カウルの形から何型? なんて考える余裕すらなかった。でも、もっと美しいのは逆ガルの強調された九試単戦、それとも紙ヒコーキ。ゼロは一機も還って来なかった。『零戦燃ゆ』では燃やされてしまった。しかし、傑作機としてあの環の中に加わる。
 善悪の話からは突き抜けている。ゾルゲのような男が「忘れられる」ものとして挙げたことの向こうにいる。山の上の話だけではない(山に昇る機関車はアプト式だったか?)。
 そういえば、宮崎駿は『泥まみれの虎』でこんなことを言っていた。

戦車に限らず軍事一般は人間の暗部から来るものなのだ
人類の恥部
文明の闇
ウンコだ ゲロだ

 飛行機については、これとは違ったニュアンスもあるのか。それこそ、今までの宮崎作品の、飛行への嗜好みたいなもの。でも、やはり暗部、恥部からは抜け出せない。ワンショットで燃える爆撃機、数えきれない残骸。短いからこそのインパクトもあった。決して讃美でまとめきれない。むしろ、そうしてしまっては、台無しになってしまう部分。結核の妻の横で煙草を吸わずにはいられない(こんなに煙草を吸う映画を観たのはひさしぶりかもしれない)何か。
 時代と個人があって、幸不幸の交わるところがある。個人個人の人生があって、成し遂げるべき夢があって……。その結晶が一つには零戦であって、いまでも日本人のどこかに幻想を抱かせるほどのものになる。ある人間にはにはそれだけの夢があって成すだけの力もある。それを見つけられた人間、見つけられない人間、成すもの成さぬもの、考えは深く沈んで、うまくまとめることもできない。

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……日本では牛に飛行機を牽かせているみたいな話もあったが、ドイツでも牽かせていたぜ、という話。まあ、車輪を切り離すMe163の着陸後の話だけど。

……ポニョの時に比べたら観客の平均年齢の高さは比べ物にならなかった。途中、ぐずる小さな子はいたが、後半は大人たちがすすり泣いているような気配も感じた。

……宮崎駿も推薦の一冊。

……宮崎駿も推薦の映画。バトル・オブ・ブリテンの亡命チェコパイロットたちの話。スピットファイアは美しく、空戦シーンもすばらしい。

……ずいぶん趣をことにするこの映画は最近観た。原作は中学生のころに読んだので、堀越二郎の話などはさっぱり覚えていない。