うそでもいいから目標は必要だった

 はてなにはなんでこんなに「くすぶり」(を自称する人)が多いのだろうか。あるいは灰か。いずれにせよ、おまえはおれか。とはいえおれは大学をドロップアウトしているので、高学歴の吹き溜まりには入る資格がないのやもしらん。
 こんなはずではおれの人生。いや、こうなるべくしてなったおれの人生。ブックマークのコメントでも書いたが、具体的な目標があればせめて違ったかもしれない。そう思うことがある。来世のためにメモしよう。ちなみにおれは来世を信じない。
 なんとなくできてしまった、できると思わせてしまった。なにか勘違いしてしまった。自分で言うのもなんだけれども、おれは人に何者かになるのではないか、と思わせるところがあるガキだった。ただ、この世に「何者」という職業は存在しない。「何者関連業界」というのもなければ、「何者のプロ」というのもない。「何をしているのかわからない有名人」というのは存在するけれども、それは「有名人業界」という業界があるのだろう。「何者」は目指せない。
 べつに何者になれなくとも問題はない。サザエさんのだれかが通う海山商事。ぼんやりとしたサラリーマン像、会社像。まあ、落ち着くところに落ち着くだろうという昭和脳。これもいけなかった。かりあげクンだって、上司に「ンモー」と言われながらも、具体的になにかの商品かサービスを取り扱っているのだろう。具体的ななにか。
 うそでもいいから具体的ななにかを追うべきだった。それが見つけられなかった。あるいは、うそでもいいからという「うそ」を持てない潔癖があったのかもしれない。それとも、何者かになれるという驕慢があったのかもしれない。
 若さ故の潔癖、驕慢。あっていいもののように思える。ただ、それを叩き潰される機会から、おれは逃げた。叩きなおされる機会から、おれは逃げた。大学に入ってしばらくして、就職活動というものをする人間を間近に見て、「おれには無理そう」と大学から逃げた。この世に海山商事は存在しないようだった。おれは引きこもって競馬とファミスタをした。正確にはワースタだが。
 その結果、このありさまだ。三十もとっくに過ぎた。自分でなんと説明していいのかわからない雑多な仕事をして、明日この職場がなくなれば、それでも食っていけるというスキルもない。うそでもいいから、「スク水に携わる仕事に就きたい」とか、そういう目標が必要だった。漁師になる体力がなくとも、海産物を取り扱う会社で、海産物に詳しいサラリーマンにはなれたかもしれない。あれ、海山商事ってスク取り扱ってそうじゃね?
 ……という以上の話は、おれがずっと双極性障害のII型のおおよその軽い抑うつ状態を抱いて生きてきた点、他人を回避するなんらかの人格障害がついてきていたという点を差っ引いた上での、来世へのメモだ。
 そして、潔癖と驕慢もとうに捨ててしまった、というと嘘になる。恥ずかしいが本当の話だ。人生のくすぶりは人生に詰まされる。真剣を指すこともないままに。