アミサイクロンの平目

 アミサイクロンの平目。そこには固有の何かがあるように思える。他になにか必要な一言もなければ、欠けている一言もない。アミサイクロンの平目。これだけで、人気薄のアミサイクロンがあの日のマーチステークスを逃げ切ったこと。平目という地味な騎手が年齢の割に髪を染めていたこと、そんなことすべてが想起される。アミサイクロンゆかりのアミフジなんとかを大井で見かければ、必ず買い目に入れるようになったことも想起される。
 とはいえ、競馬は記録だ。あの日のマーチステークスを開く。

 1着欄に当然のことながらアミサイクロン。昔の表記でいえば8歳。今に比べて、そんな年齢で活躍できる馬は少なかったように思う。12着のミスタートウジンは別格だ。タイマルティーニはタイのつく馬らしく追い込み馬だった。メジロモネ。おれはしばらく牝馬と勘違いしていた。東京ダート2100mの似合いそうな馬。2着はプレミアムプリンス。これも人気薄。あまり記憶に無い。おれはおそらく一番人気のアイオーユーからしけた馬券を買っていたことだろう。ついでのことだ、一つ前のレースを見よう。

 その日のクロッカスステークス。こちらは名の知れた馬ばかりだ。怪我がなければどこまでいけたかダンディコマンドルグロリューの弟ルグリエール関屋記念エイシンガイモン。ただ、おれはおそらくテリフィックを買っていたことだろう。おれはソヴィエトスターの名の響きが好きだった。テリフィックの母はタレンティドガールだから良血だった。おれはテリフィックも好きだった。ソヴィエトスターは種牡馬として失敗した。
 どうせなら、あの日のマーチステークスの一つあとも見てみよう。

 同じダートの千八、勝ち馬タイキシャーロック。この馬のキャリアからすれば、この日の最終なぞ通過点……。
 しかし、あの日はアミサイクロンの平目の日だった。前になんのレースが、後になんのレースが、裏になんのレースがあろうが知った話か。単勝100倍、最低人気、最軽量のアミサイクロンがG3を逃げ切った日だった。アミサイクロンの平目の日だった。世の中には大勢の人間がいるが、その日の主役になれる人間はほんのわずかしかいない。ある一つのことで語り継がれる人間もほんのわずかしかいない。アミサイクロンの平目はそのわずかな例にほかならない。少なくとも、おれにとってはそうだった。そしてこれからもそうであり続けるのだ。

(写真は紙面より)