俺が横を通り過ぎた死体らしき男

 進行方向の車線、路肩、ハザードもつけず停車したワゴンの後ろに傘をさした中年の男が二人、足元になにかが見えるというか、人間の足が横になっている。横になっている人間が道路に倒れている。
 雨の降る朝、俺も傘をさして歩いていた。近づいてくる、破れてボロボロになったビニール傘が歩道に落ちている。ワゴンの前の店屋から女性が一人出てくる。男の一人はしきりに道路を眺める、救急車を待っているように見える。けっこうな雨が降っている。
 横を通り過ぎる。倒れているのは中肉中背とくにこれといった特徴のない男、顔を地面に向けていて表情は見えない、血のようなものも見えない、微動だにしない。チェックのシャツ、下はジーンズだったかどうか、自転車はマウンテンバイクで激しいダメージがあったかどうかもわからない。リアのサスペンションも雨に打たれるばかり。微動だにしない男の全身をそれなりに本降りの雨が打つばかり。周りの人間たちはそこに傘を置きはしなかった。俺もわざわざ声をかけて立ち止まり微動だにしない男をこれ以上濡れないようにしようという気も起こらなかった。
 状況はどうもわからなかった。ゆるやかな坂道、ものすごいスピードで停車しているワゴンに後ろから追突したのだろうか。傘をさしながら自転車を走らせていて、バランスを崩して転倒、ちょうどワゴンの後ろに流れ着いたのだろうか。それとも男の体内で急激な異常が起こり転倒したのだろうか。
 あの男は生きていたのか死んでいたのか。大の大人が三人、適切な処置、すなわち救急への連絡、事故であれば警察か、いずれにせよ何かが行われ、何かを待っている最中のように見えた。これが四人、四人になったらもっとよくなったか。野次馬にはなりたくない。いいわけだ。俺が加わってもよかったのかもしれないが、俺はそうしなかった。人間とも生きているか死んでいるかもわからない人間ともコミュニケーションをとりたくはなかった。忌避した。それがすべてだった。かくして道に倒れた男は雨に打たれるままになった。
 会社近く、ビルの駐車場で横になった老人を、半透明のレインコートをかぶった警察官がゆすっていた。あれもまた死体であったら、おれは朝から二つの死体を見たことになる。そんなことは今までもなかったし、これからもないだろう。いずれにせよ、確かめようがない。また、万が一あれらがすべて俺の精神疾患のなすところだとすると、俺には現実と幻覚を見分ける術はまったくないなと思った。事故のことを地元の新聞で探したが、いっさい見つからなかった。現場にはチョークの引かれたあともなく、花束も置かれていなかった。あれは微動だにせず雨に打たれていた事件性のない男。それ以上でもそれ以下でもないのだ。俺はそう思うことにした。