自分の好きなものが好きなものにつながっているとすこしうれしい

 『社会学ウシジマくん』を読んでいて、漫画本編以外に上記の本からの引用がいくつかあった。作者によるインタビューが載っているようだ。おれはすぐにポチった。『ウシジマくん』執筆に至る経緯、狙い、そしてそれぞれのエピソードの解説。その中の、切れのいい短編「タクシーくん」編についてこんな発言をしている。
 

 将来的に目指しているのは、短編なんですよ。ブコウスキーとか、ヘミングウェイとか、レイモンド・カーヴァーとか。アメリカの小説家が書く短編小説が、すごい好きだったんですよね。短編で、完成度の高い漫画をやるっていうのが、今も昔も理想です。

 フハッ、ブコウスキーにレイ・カーヴァー。どっちもおれの好物だ。エルロイとかの名前が出てきたら、「やっぱりか」という感じだったかもしれないが、これに関しちゃ「そうだったのか?!」という感じ。各エピソードのラストがいつもいいのも、そういう、なんというのか、短編の切れのよさを追求するところにあったのか。
 そんで、さらに次の「出会いカフェくん」について。

 ロアルド・ダールの『南から来た男』って小説があるじゃないですか。

 ダールまで来た! って、「南から来た男」といえば、「やさしい凶器」とかと同じくらい有名なダールかもしれないが、いやあ、そうだったのか、って。
 で、なにが「そうだった」のか? っていうのは……わかるものなのかしら。両者を丹念に読み込めば、その通底にある核のようなものを掘り当てられるのだろうか。少なくともおれにはそれを掘り出す道具がない。それを持つ人が学者であるとか評論家であるとかなのだろう。ただ、たんにおれはインタビューという形で知って、「そうだった」ことを知ってうれしがってる。でも、それでいい。「肉蝮」みたいなのを描くのが好きな作者が、現代社会の嫌なリアルを丹念に取材し、カーヴァーみたいな短編を志向して描かれた漫画。すばらしい。
 そんでおれは、この作者ならば綺麗に『闇金ウシジマくん』を〆ることができると思うし、それ以降の作品もすばらしいものになるに違いない。
 ただ、『ウシジマくん』は読むと気分が落ちるんだよなぁ。ただでさえ落ちている日常をさらに落とす。「こうならないように注意しよう」という気にもならない。なぜって、「フリーターくん編」をほぼ体験しているんだぜ。もうごめんだ。でも読みたい。やばいな。なんで読み始めたんだろ。……日記さかのぼったらあった。

「おあ、あの『スマグラー』の人か! あれ、よくわかんねえとこも多かったけど、なーんか怖いのは印象に残ってるな。心理的な追い詰められ感。それが、闇金とかのわかりやすく、なおかつ生々しいテーマを扱えば、そりゃあ小便ちびるくらいのもんなんじゃねえのか!」と思ってしまったのだ。読みたくなったのだ。

『闇金ウシジマ君』真鍋昌平 1〜3巻 - 関内関外日記(跡地)

 まったく。あ、あと、インタビューの載ってる本、名台詞集というか名場面集で、寄せ集めっちゃなんだけど、まあわりとファンなら買い、です。