『東京右半分』を読んだ

東京右半分

東京右半分

いまの東京の若者たちがみずから見つけつつある新たなプレイグラウンド、それが「東京の右半分」だ。この都市のクリエイティブなパワー・バランスがいま確実に東、つまり右半分に移動しつつあることを、君はもう知っているか。


 いや、知らなかった。
 というか、札幌生まれ、鎌倉育ち、横浜市中区在住のおれには「東京」がわからん。表紙写真のオリエント工業の社長が麦田の生まれで「近いけど元町と違って……」というトンネル一本の差はよくわかるが、東京左半分と右半分といわれてもいまいちピンとこないのが正直なところだ。おれの行動範囲は狭い。野良猫ですらもうちょっとうろつくんじゃないのか?
 いや、おれは二年ほどまえ足立区の竹塚あたりをうろついたことはあった。うろついたわけじゃない、仕事でぐるりと歩いたんだ。「足立」ということで身構えていたが、花畑のあたりなど川など流れてのどかな感じだった。その日は熱を出していた。夜のディープさなど無縁だった。昼飯はガストだった。ヤンママ(と今でも言うのかな)が多かったのは覚えている。


 そもそも、おれは、夜、外で、おねーちゃんのいる店で、酒を飲んだことがない。行きつけの小粋な料理屋もない。インドア・アンド・インドアの人間だ。だから、『東京右半分』の半分以上とは縁がないといえば縁がない。ただ、出てくる話はおもしろい。ディープだ。それに幅広い。いろいろの人間がいろいろのことをして、いろいろのネットワークを築いている。新しさと古さが出会ったり出会わなかったりの東京右半分。しかし、そういう意味では、スタンドアローン・アンド・スタンドアローンなおれにとっては、やっぱり縁がない。
 ……のに、けっこうに分厚いこの本を読みきってしまうのはひとえに著者の筆力、そしておもしろいものを見出す眼力か。もちろん、おれの守備範囲である公園であったり博物館など、興味深いスポットの紹介もあったけれども。それに和柄ファッションに極道ジャージ、たまらんじゃないですか。
 しかし、東京、東京か。札幌生まれ、鎌倉育ち、横浜市中区在住のおれにとって、やはり遠い世界。テレビでもインターネットでも当たり前のように出てくる地名たち。でも、限りなく遠く感じる世界。行けば(生活の場として)、そこになにかあるのだろうか。一晩に何十万も飲み屋で使うような、そんな世界が待っている可能性もあるのだろうか。いや、ありゃあせんか。そんなことすら考えなくなった。昔は東京にいつか行くものだとは、思っていたのだけれど。