馬券を買わずして競馬を見られるか?

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おれは今年一銭も馬券を買っていない。中央も地方もだ。土日の東スポもまったくといって買っていないし、有料馬券情報サイトの契約もやめた。ひとことで言えば「馬券を買う金がない」。

本当の本当にないのか? と言われれば「ないわけではない」のだ。たとえば、その日の関東のメーンレースに100円だけ投じることくらいはさすがにできる。それだって立派な馬券購入だ。そして、それはそれで健康的で、ある意味おもしろくもありそうだ。ありそうだが、それはおれの知っている馬券の買い方ではないのだし、今のところそういうことをするつもりもない。

だからといって、現行の競馬とまったく切れたわけでもない。おれは馬券を買わずに競馬を見る。日曜日に目覚めてみたら午後二時過ぎで、しばらくするとテレビで中継が始まる。図書館から帰ってきたらちょうどメーンレースの時間だ。さらには、ちょっとおもしろそうな面子が揃ったGIIだとなれば、家を出る前に録画予約すらする。おれは競馬を見る人になった。しかし、100円でも馬券を買う気は起こらない。アルコール依存症の人間が居酒屋に入り浸っているのに一滴も酒を飲まないでいられるようなものだ。われながらたいしたものだ。

そもそも、おれはギャンブル依存症でもなかったということなのだろう。相当に定収入のわりには、あれだけ馬券を買っていたというのに。年が変わってはじめの金杯をやらない。最初のうちはわざと見ないように、気にしないようにという気もあったような気がするが、いつの間にか平気で「見て、買わぬ」ようになっていた。

自分自身についてすこし不思議に思う。あれだけ買ってきたのはなんだったのか。馬券的中のときくらいしか人生を肯定できないとまで思っていたのに、それはどこに行ったんだ、と。それがどこかに行った代わりに入ってきた新しい趣味だのなんだのもないというのに。

そんなおれがどのように競馬を見るのか。強いて言えば、日本馬の海外遠征を見るのに近いかもしれない。最初から馬券は買えないし、遠征馬がとくに贔屓の馬というわけでもない。でも、ちょっとは気になる、そのくらいのこと。

そのくらいのことがどのくらい面白いかというと、そんなに面白いわけでもない。惰性といえば惰性かもしれない。今のところスポーツナビの一球速報でカープの情報を追っていたほうが楽しい。かといって、見なくなるほどでもない。そこが自分でも不思議だという。

おれには、「100円でも買えばレースが全く違ったものに見える」という持論があったのだが、さて。買わなくなれば全く違ったものに見えているのだろうか。そりゃあ一喜一憂も緊張感も、喜びも後悔もない。薄膜の向こうで馬が走っている。そういう感じはある。とくに贔屓のない(強いて言えば金持ちの球団は嫌いだが)パ・リーグの試合を見ているような……。

じゃあ「馬券を買わずに競馬を楽しめるか?」に変えてみようか? 悩むところではある。たとえば、おれがまっさらな競馬知らずで、馬券を買わずに競馬ファンになっていけるかどうかというと、怪しいような気がする。あるいは、誰かに、「馬券なんて買わなくても競馬は楽しいんだ」と言えるかどうかというと、言えぬような気がする。やはり、「100円でも買えば」の思いが強い。スポーツとしての競馬、血統の楽しみ……いや、しかし、と。

「100円でも買えば」か。そういえば、おれは馬券買うのをやめるという決断を、いつ下したのだろうか。一応は今年の初めからだろうが、はっきりとそう決めたおぼえもない。いつの間にかやらなくなっていた。なにかについて、気づいたらずるずると習慣になっていたとかいうように、ずるずるとやらないふうになっていた。競馬やらない依存症だ。世の人の過半数は「結構なことじゃないか」というだろうが、べつにおれは「結構なこと」を目指してやめたというつもりもない。たとえば、ハタノヴァンクール一頭現役だったら、話は違っていた。その程度のことだ。今のおれには贔屓の馬もいない。

結局、おれはなにが言いたいかというと、とくに言いたいことはない。ただ、馬券を買わずに、競馬を見るようになった、そのことを書き留めておこうというだけだ。まったく競馬を見なくなる日が来るかもしれないし、馬券を買うようになる日が来るかもしれない。それは来週かもしれない。ただ、おれにはおれ自身の奇妙さがすこし面白く感じられる、そのことを書き留めておきたかったのだ。それだけのことだ。