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さて、帰るか

さて、帰るか

口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである。

おれがあまりにも黙って画面に集中していたので上司がそれと気づかずエアコンの、ラジオの、蛍光灯のスイッチを切ってしまった。おれは声を上げた。一ヶ月に一度くらいはそういうときもある。あとのたいていの時間はおおよそ呆けている。エアコンの風にあたりながらラジオを聴いたりしているのだ。その結果がなにかといえば、底辺の労働者たるおれは貧しいということだ。

おれは貧しいから……なにが買えない、なにができない……のか? そうじゃないんだ、たぶん。最近そのことに気づいた。おれは口では「iPadが高くて買えない」などと言うが、本心の芯のところをえぐりだしてみれば、そうたいした欲求なんかありゃしないんだ。その欲求のなさこそが貧しさというやつなんだ。少なくとも、おれがおれを貧しいと真に思うときがあるとすれば、そういうときなんだ。

とはいえ、食えなくなることへの恐怖というものは、そんな形而上の戯言を吹き飛ばすくらいのリアルさをもっておれを攻め立てる。薬とアルコールでまやかしておけるのも時間の問題だ。時間が問題だったのか? もう人生に有効な持ち時間なんてなくなっちまったよ。秒読みの一分将棋だ。詰めろがかかってるのは目に見えてる。必死に逃げ回るが、詰めろ逃れの詰めろなんて妙手が生まれるわけでもない。しかし、おれの対局者もずいぶんなぼんくらだ。おれみたいに詰めが甘い。真綿で首を絞めるようなサディストというより、ただの一撃で殺せるナイフを持ってないみたいだ。

人生の比喩と見るか、時間の比喩と見るか、あなたの好きにすればいい。

ところでおれにも幼年期があった。幼年期のおれはといえば、親が電車などで隣り合った見知らぬ人から「かわいいお嬢さんですね」と言われるような存在だったらしい。色白で、目がぱっちりしていて、まったく女の子のようだったのだとか。叔母の一人は、男女合わせて親戚中見渡してもあんなにかわいい子はいなかったと言うくらいだ。

それがどうしたものか……どうともしないな。それなりに野郎になってしまった。それもこの頃気づいた。おれはしばらく前まで、まだ男子校で告白されたことのある美少年のつもりでいたんだ。まったく滑稽なことだ。もう、おっさんなんだ。それに気づいていないふりをしていた。セックスをすると腰が痛くなる。ヒゲに白いものが混じってきた。鼻毛なんてのはとうの昔に。

馬柱にオペラハットという名を見つけてギョッとする。おれのオペラハットは南関の巨漢馬のことだ。オペラハウスの子だ。それがもう使われていいことになっている。びっくりした。そんなに時が経ったのかと思った。その日のメーン、有馬記念4着馬を舐めるなよと思い、ラブイズブーシェから買って馬連が5千円もついた。道中は「馬鹿野郎、先行しろ、この野郎、騎手やめちまえ!」とか思っていたのは内緒だ。おまけに3場の最終のうち2つもとった。おれはついていた。おれがこんなについていたのは……いい例えが見つからない。ちなみにおれは競馬をやめて久しい。

口から出てくるものが人を汚すのである。悪くないことを言う。天に向かってなんとやら。いや、そんな面倒なことをしなくとも、止めどもなく溢れて自らの身を汚すこの言葉。おれには欲しいものがない。おれには行きたい場所もない。おれにはおれの望む人生がない。言うごとに自分をすり減らし、無意味なものにしていく。わかっていて自傷する。負け犬にふさわしい趣味じゃないか。まったく。