都市と建築について

都市計画はそれ自体、コスモスの二次元的な模型であったが、都市と天のつながりは、テラス・塔・柱・ジッグラト・アーチ・ドームのような建築的な垂直性の象徴という形での補強を必要とした。

トポフィリアイーフー・トゥアン

都市について一家言ある人間というのはかっこいい。おれもいつかは都市について一席ぶちたいという気になる。胡散臭さと衒学趣味をブレンドして、都市から時代を語る、とやってみたい。とはいえ、おれは都市について学んだこともないし、学ぶ意欲もない。自分の言葉で語れない。難しそうだからだ。難しそうだからかっこいいのだ。「きみ、都市というものは、(なにかかっこいい比喩)と相似をなしているんだ。見ろ、人々はまるで(なにかかっこいい比喩)だ」云々。

建築について一家言ある人間というのもかっこいい。大人という感じがする。絵画や彫刻を見て「すげえ」とか「つまらん」とか言ったりすることの、一歩上を行ってる(「すげえ」「つまらん」だったら一歩どころじゃねえだろうが)感じがする。高度な美的センスと機能への理系的理解を兼ね備えているように感じる。知のスケールが大きいように思う。そして難しそうである。おれの手に負えぬ。「きみ、この建築は……(中略)……の時代とその未来を象徴しているのだよ」云々。

そういうわけで、都市論と建築論について語れる人は、おれから勝手にかっこいいと思われていると考えて差しつかえない。おれもいつかは大人のように語れるのだろうか、と思うこともある。いや、思うばかりで勉強しないから無理なんだけど。というか、いまさら勉強といったところで一人で本を読むくらいしかできない。そして、なにか読んだところで、「このジャンルは語れるようになるな」と思えない。知の大きな壁がある。おれは壁を前にしたら引き返す類の人間だ。登ろうとも叩こうとも思わない。仰ぎ見るばかりだ。

とはいえ、興味がないわけがない。興味がなければ仰ぎ見たりもしない。人生が二度あれば都市や建築について語れる人間になりたいと思う。適度な衒学趣味と胡散臭さをブレンドして、その時代を雑に一刀両断してやるんだ。悪くない。そして、聴くべき音楽はジャズだ。ジャズについて一家言ある人間というのもかっこいい。都市と建築、そしてジャズ。おれのミーハー趣味。おれの考えた大人像。こうおれが並べてみれば、いかにも安っぽくてますます悪くない。よし、生まれ変わったらきちんと勉強して大学を出よう。なにか一席ぶてるくらいになろうじゃねえか。なにか、なにか一つの分野については……。

 

トポフィリア―人間と環境 (ちくま学芸文庫)