人生に収容されて35年

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人生に収容されて35年。思えばなにもしてこなかった。どこにもアンカーは打ち込まれず、なにも積み重ねられるものもない。点がないから線が引けず、線がなければ立つものも立たない。ただし時間だけは過ぎてきた。

なにかできる人間というのは、いったいどうなっているのだろうか。想像の埒外というよりほかない。あるものについて精通する、技術のある人間というものには、どうやったらなれたのだろうか。それとも、生まれた瞬間に分別されているのだろうか。

複数のレイヤーを生きている人間というのは、いったいどうなっているのだろうか。これも想像の埒外というよりない。ある分野に実績があり、またある分野でも一角の人物である。仕事と趣味、でもいいし、仕事と仕事でもいい。いったい、どうなっているのだろうか。

おれには何もないというカードが配られた。正確には「何もしないという方向に向かって歩む」カードが配られた。おれはなんにもしたくない。一つのことすらしたくない。歩のだっていやだ。ただ、何もしないことに日本の足は必要ない。そう思うだけでいい。

なんにもしたくない人間にこの世はやさしくない。この世は人間がなにかすることによって成り立っているからだ。なにかすることによって成り立っている世界はおれにとって苦痛の世界だ。おれはこの世界を好むともなんとも言わぬうちに収容された。今ならば言える、おれはこの世界を好まない。おれはおれを好まない。

安売りしていた焼酎を買って、一口飲んで「これは」と思う。成分表を見たら焼酎甲類に香料やらアミノ酸やらなんとか果汁やらの混ぜ物のされた代物だった。焼酎乙類のゾーンに置いてほしくない。こんな悪酔いするための液体は、早く消費してしまった方がいい。アルコールは度数で買う。アルコールは値段で買う。しかし、見るべきものは見なくてはならない。おれの脳みそはオランザピンやアルコールで縮小している。出てくる言葉もだんだん同じことばかりになる。考えることも同じことばかりになる。悪くないように思える。

余計なことを考えない。酔いで研ぎ澄まされたおれは、純粋な一点に向って意識を向ける。それはアルコールの入っていないときにぐちゃぐちゃになって浮かんでくる想念と、結論から言うと変わらない。おれは遠からず死ななくてはならない。その遠くがどこに位置するのか、曖昧にもわからない。ただ、10年や20年じゃあないだろうという予感がある。5年くらいだろうか。おれは何もしてこなかった人生の、それでも積もってしまった埃を払いはじめなくてはならない。ただ、おれはやる気が無いから、それをするのも億劫だ。わけもわからなくなって、突発的にぶっ放すことになるのだろうか。おれは双極性障害ということになっているから、極端に飛ぶのがいいかもしれない。極端にぶっ飛ぶのがいいのかもしれない。