人間社会に向いていない人間というのもいるような気がする

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人間社会に向いていない人間というのもいるような気がする。

たとえばおれがそうなんじゃないかという気がする。

人間社会という言葉は主語が大きすぎるような気もする。今まで人類が築いては壊してきたいろいろの社会体系のなかには、おれに適した社会があったのかもしれない。ひょっとすると、人類史上の汚点と呼ばれるような社会のなかにこそ、おれがフィットする社会があった可能性もある。

だから、おれは、人類が築いてきてそれなりになってきた結果であるはずの今のこのおれの属する社会に向いていない人間なんじゃないかという気がする、というふうに言い換える。

おれは今のこのおれの属する社会に向いていない。どうも生きる力が弱すぎるような気がする。生きる力、生きようとする力。身体的にまったく完全無欠というわけじゃないけれども、これといって大きな障害もない。脳の方はといえばなんらかの欠点があるので薬を飲んでいるのだけれども、たとえばおれとあなたが喫茶店にいて、おれがいきなり全裸になって踊り始めるというようなことはないと思う。だれか店内の子供が人質にとられて、犯人が要求したというのならば全裸で踊るのもやぶさかではないけれど。

弱いから殴られたり蹴られたりしているのか。むしろ殴られたり蹴られたりしているから弱いというような気がする。もう、すでに殴られたり蹴られたりしているように思う。幼稚園に入ったときからそんなふうになっていた。殴られたり蹴られたりというのは比喩だけれども。

この中途半端な弱さというのはとても宙ぶらりんであって救われようがない。かといって自助努力によってどうにか克服できるものではない。克服できるのならば弱くないのだろう。

目に見えるものは悲惨ばかりで、なにもままならない人生、送っていて意味もない。もう、あとはダイジェスト版でいい。早送りでいい。2期があると思ったら30分の特別前後編でした、というくらいでいい。むろん、年々時がすぎるのを早く感じるという人間の感じ方、というものはおれにもある。さて、なんという名前だったかその効果。

先に殴られているのだから、こちらから先に蹴ってやってもいいはずだろう。そういう気持ちもあった。なかったわけじゃなかった。ただ、もうおれもずいぶん落ち着いてしまって、手も足も出ない。ツノもやりも頭も出ない。楽しい妄想も出てこない。机の引き出しから22世紀が出てきたりもしない。

おれは今のこのおれの属する社会に向いていないし、殴られたり蹴られたりしていて弱っているし、喫茶店で全裸になって踊ったりはしない。おれは救われようがないし、あとはダイジェスト版でいい。もうダイジェスト版になっているかもしれないが、ダイジェストする中身があるとも思えない。おれはすっかり弱っているし、喫茶店の中で全裸で踊りだすかもしれない。頼むからその子の命を助けてやってくれ。代わりにおれを撃ってくれ、撃ってくれ。