20年ぶりの佐藤大輔『凶鳥<フッケバイン>』を読む

凶鳥“フッケバイン”―ヒトラー最終指令 (角川文庫)

凶鳥“フッケバイン”―ヒトラー最終指令 (角川文庫)


 震電、秋水、橘花……、男の子ならだれだって、そんなのが好きになる時期があるじゃあないですか。え、主語が大きい? そりゃ失礼。けどすくなくともおれにはあった。今だって好きといえば好きに決まってる。
 中学生のころ、そんな妄想世界に浸らせてくれたのが佐藤大輔架空戦記ものだった。そして、佐藤大輔はすごかった。なにがすごいって、文章がすごいんだよな。読んでいて、つっかえるところなくスラーっと読める。リニアモーターカーが滑るような、そんな印象が今でも強く残っている。良し悪しはべつとしても、そんな滑らかな文章ってのは、なかなか出会えない。だから思わず繰り返し手にとって読む、そんな記憶がある。
 でも、そこから架空戦記のジャンルに行くとか、がっつりミリタリーの方へ行くとか、そんなことはなかった。ちょっとは手を出して、しばらくすると飽いてしまう。そういう人間だった。今だって。
 そんなわけで20年近くぶりに佐藤大輔の本を手にとった。凶鳥とあってフッケバインとあって、ヒトラー最終指令とあって、ああ、久しぶりに読んでみるかと思った。一方で読み進めてるセリーヌが笛を逆の方に吹いちまった(占領下フランスでの反ユダヤ人、対独協力)あたりを読んでるってのもあった。
 タイトルは『凶鳥“フッケバイン”―ヒトラー最終指令』。ここから想像するに、ルフトバッフェの秘密兵器かなにかが、第三帝国最後の切り札として……みたいな内容だろう? ところが、こいつがおれの想像するのとはまったく違う方向に行っちまう。でも内容を言っちまうのは野暮ってもんだ具合で。もちろん、独ソのドンパチからアメリカのヤーボ、オットー・スコルツェニーにE-100と軍事要素は満載なんだけれども。やや「汚い戦争をやったのはSS」史観みたいなのは見え隠れするが、まあそれどころじゃねえよって。ちなみに、単行本のときのタイトルは『鏖殺の凶鳥(フッケバイン)―1945年ドイツ・国籍不明機撃墜事件』らしく、まあそっちの方が語り過ぎの感はある。とはいえ、文庫版のタイトルはやや架空戦記っぽさに騙りすぎとも言えるか。
 まあいい、やはり文章は読みやすかった。不思議とスラスラといけてしまう。このあたりの不思議さというのはどこから来るのか? それはわからん、わからんが、スラっと読めてしまって悪くなかったぜって次第。そんなところ。