スリープスプリンターになって、かれこれ四年になります


 おれは31歳のころ、スリープスプリントを作った。睡眠時無呼吸症候群用のマウスピースだ。睡眠時に装着する。これを装着するとしないとでは大違いだ。これを装着しないで寝た次の日は、夕方ぐらいに電源が切れたように眠りに落ちる。本当に落ちるのだ。
 その大切なスリープスプリントをうっかり体で踏み潰してしまったのが一ヶ月くらい前だろうか。その前から多少欠けた部分もあったものの、ど真ん中に亀裂が入ってしまった。うっかり亀裂に下が触れると挟み込まれて痛い、というレベル。が、ときは年度末、金もないし(いつもないのだが)、暇もない。そのまま割れたスリープスプリントを装着してしのいだ。
 しのいだ結果、4月に入ってようやく医者に行く余裕もできてきた(消費税増税の反動というやつかも知れず気は重い)ので、スリープスプリントの修理をしようと思った。思ったが、どういう手順で市大の付属の大手病院に予約を入れていいかわからない。かかりつけ医の紹介状なしじゃ来るんじゃねえよ、という施設だからだ。とはいえ、また上大岡の睡眠外来に行って入院検査ということもあるまいと、とりあえず電話してみる。(代表)の番号にかけ、これこれこういうことだと説明すると、「口腔外科の方にお繋ぎします」と。
 ずいぶんと待った。待ってしばらくして女性が出た。また、これこれこういうことだと説明し、「診察券はお持ちか?」というので番号を伝えると、「ああ本当ですね、かれこれ4年になりますね」などと言う。かれこれ4年。たしかに4年。とはいえ、おれに「かれこれ」と呼べるような人生の転機があったか? 成長があったか? 気持は沈む。沈むがやりとりは続く。かれこれ4年なので初診扱いになるが、受付に話を通しておくので、ということになった。スリープスプリントの修理に一からかかりつけ医(この場合、上大岡の睡眠外来)経由の必要はないということだった。少なくともこのケースでは。
 そしてかれこれ4年ぶりに市大の付属の大きな病院を訪れた。総合案内のようなところで、これこれこういうことだと説明すると、話は通っていた。いくつかの受付、青から緑色に変わった診察券、バージョンアップしたであろうポケベル。わりと待つことなく(えらく待たされることを予期してセリーヌの『北』の上巻など持っていたが、読む暇などなかった)、診察室へ。
 待っていた医師は若い女性で、こんな若い女性と話すのは何年ぶりか、というか、話したことなどあっただろうかと思う。思うも、これこれこういうことだと説明などする。「現在飲んでいるお薬などありますか?」などと聞かれるので、「アモバンジプレキサレキソタン、アロチノロール塩酸塩、それにメイラックス」などと馬鹿正直に答える。べつにマウスピース作るのにおれが双極性障害であることを説明する必要があったのだろうか。おれが小学生のころ扁桃腺の手術をしたことを言う必要があったのだろうか。このあたりは本当にわからない。聞かれたから答えたまでだと、そう思おう。
 して、初診扱いのおれは問診票のようなものに「スリープスプリントの修理」などと書いたのだが、それはちゃんちゃらおかしい話のようであった。「4年、よく保ちましたね」などと言われる話であって、亀裂の入ったおれのスリープスプリントを見てひと言「作りなおしになります」と。まあ、なんと。
 そして、歯にぐらつきがないか調べられ(虫歯もなさそうだったのでこれはありがたい)、上下の歯の型を取られた。そのあとにベテランらしい男の医師が来て、女性の医師からおれについての「まとめ」の報告を受けると、ちょいちょいと口の中を覗いて去っていった。完成までに2週間ほどかかるという。一番早い予約をお願いして診察室を去る。
 去って行き着くところは支払い窓口。ファイル一式と診察券を出して、「ベルが鳴るまでお待ちください」。そこでおれ、いやな予感がする。ベル? どこ? コートのポケット、なし、ジーンズのポケット、元から入らない。かばんの隅々、ない。結論、忘れてきた?
 おれは口腔外科に戻り、置き忘れた可能性のある中待合室に入る。一人女性が待っていた。座っているよこにベルが一台置いてあったので、しどろもどろで(完全に不審者のガイキチだ)これこれこうなのだが、それはそうではないのか? という旨を伝えるが、それはそうではないという。そうなると診察室(部屋に分かれているわけではないのだが)となるが、そこにずかずかと入り込むのもどうかと思ったので(そもそも中待合室に入るのもいけないことだったかもしれない)、カウンターに戻り、看護師さんにこれこれこういうことなのだが、と伝える。看護師さん、まず中待合室に入る。ありません、という。それはわかってる。「じゃあ、○番の診察室かも……」とおれ。行ってくれる看護師さん。「××さん、荷物置きにありました!」と看護師さん。たしかにその液晶には、おれの名前が表示されていた。忙しいところ、たいへん手間をかけた。申し訳なく思う。
 ……というわけで、おれは再来週から新しいスリープスプリンターになる、はずだ。ひょっとしたら、かれこれ4年の間にじわじわと噛み合わなくなっていたものが復活するかもしれない。いや、4年前のおれのなにがよかったというのか。とはいえ、今より若い分悪くはなかったかもしれない。コンディションが少しはよくなる。そう思えば悪くない。出て行く金はおれにとって小さくないが、なにかしら良化することを、今は信じていたい。おしまい。

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