リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』を読む

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)

「どこにお住まいです?」わたしはいった。
「キット・カーソン・ホテルです」お婆さんはいった。「そうなんです。本を書き上げましたよ」それから、お婆さんはその本をまるでこの世でもっとも大事なもののように誇らかにわたしに渡した。ほんとうに大事なものなのだ。
 それは全国どこに行っても見つかるようなルーズ・リーフ式のノートブックであった。どこの文房具点にも置いてあるはずだ。
 表紙には厚ぼったい貼紙が糊づけされていて、その貼紙には緑色のクレヨンで、太々と題名が書きこまれていた。
 
 『ホテルの部屋で、ロウソクを使って花を育てること』
 チャールズ・ファイン・アダムズ夫人作

「すばらしい題ですね」わたしはいった。「この図書館には、このような本はまだ一冊もありません。これがはじめてですよ。

 『愛のゆくえ』。原題は『The Abortion:An Histrical Romance 1966』。もしもあなたが(外国語を解する賢明なあなた、あるいはSEX PISTOLSのファンのあなたが知らないはずもないだろうが)Abortionの意味を知りたければ、ぜひGoogleで画像検索してみればいい。前半は図書館……ただひたすらに「お婆さん」のような著者による著作を引き受ける図書館の話。後半がAbortionをめぐる話である。『愛のゆくえ』とは皮肉なタイトルでもあるが、あまりにも引っかかりがなさすぎるようにも思える。これまで読んできたブローティガンとは翻訳者が違う。
 おれは二年くらい前から図書館をよく利用している。継続的に使用している。ゆえに、前半部の図書館、架空の図書館の話に惹かれる。それはまるで高橋源一郎が『優雅で感傷的な日本野球』を収めに行く野球殿堂の図書館のようでもあり、村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で描く図書館のようでもあり……。ようするに、いい図書館なんだ。ファンタジーの。そこにはブローティガンってやつも本を収めに来る。

『オオジカ』リチャード・ブローティガン作。著者は背が高く、ブロンドで、時代遅れな風貌を与えている。長い黄色い口ひげをはやしていた。ほかの時代なら、もっとくつろげるように見えた。
 これは彼がこの図書館に持ってきた三冊目か四冊目の本であった。新しい本を持って来るたびに、少しずつ年をとって、少しずつ疲れて見えた。最初の本を持ってきたときには、とても若々しく見えた。その本の題名は思い出せないが、それはアメリカに関するもののようだった。

 それはアメリカに関するもののようだった。ブローティガンアメリカ。アメリカの勝たざるものたち。ほかの時代なら、もっとくつろげるように見えるやつ。あるいは、ほかの国。ブローティガンのくつろげる世界がこの世に存在したのだろうか。それとも、一回の鱒釣りの中に。ハンティングの中に。おれにはわからない。おれにはわからないが、世俗から離れたところにある図書館ならくつろげただろうか。そんなことも思う。
 とはいえ、本作にはヴァイダという魅力的な……外見的な魅力さゆえに自らの肉体を疎ましく思う女性が出てくる。でもやっぱり否定的か……。それでも、それでも……愛のゆくえ、なのだけれども。やはりコーヒーを淹れて……。終り方は悪くない方へ、そっちの方へ行くような余韻もあって。『鱒釣り』>『愛のゆくえ』≒『西瓜糖』>『芝生』>『ビッグ・サー』? 疲れていく著者が残した作品はまだある。おれはそれを読む。きわめて現実的な図書館へ行って。

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