セリーヌ『虫けらどもをひねりつぶせ』、『死体派』を読む

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

セリーヌの作品〈第11巻〉死体派

セリーヌの作品〈第11巻〉死体派

「ジッド、セリーヌ、フォントノワらのような変節漢の意見など、無論、一顧の価値もない。単に、自分たちがそれまで崇拝してきたものを焼き捨てているのである……」えらい大演説じゃないか。くそったれ。この阿呆めが!……うすのろ野郎、なんの権利があって、こんな中傷を書きやがるんだ?……私は一度たりとも変節などしたことはないぞ! そもそもなんにも崇めたり奉ったりしたことがないのだ!

 セリーヌの『虫けらどもをひねりつぶせ』と『死体派』を……なんとか読んだといえるのかどうか。これらはセリーヌの人生を……ヘタすれば『旅』の評価を吹き飛ばすくらいに変えちまった本だ。言っちまえば、反ユダヤ主義ユダヤ人への憎悪、陰謀論、憎しみで満ち溢れてる。そりゃあ、自己韜晦みたいなもんもあるだろうし、その文体に見るところもあるんだろうが……正直、読んでいてうんざりしてしまった。こんなにか、と。
 決して、「よきセリーヌのわるい面を見てしまった」とかいうんじゃねえんだ。なんつーか、セリーヌみたいなやつがそういうところにずっぽしはまってしまったり(あえて、であったとしても)すりゃ、こういう文章書くよな、くらいなもので。つーか、わるい面か。
 それに、正直なところ、この極東に生まれ育って一歩も自国の外に出たこともないおれ、ユダヤ人差別の実態や実感みたいな……なんといったらいいのか……人種差別問題というのはつねにリアルタイムで、我が身をもって考えるべきものだと言われりゃそうかもしれないし、そういう態度をとるのがPCなのかもしれないが……あんまりやっぱりユダヤ人差別そのものについて、時代と場所の隔たりもあって。あってどうかといえば、もうただひたすらにうんざりさせられたというのが本音で、何回「ユダヤ」って言葉が出てくるのか数えてやろうかというくらいのものだった。要するに、おもしろいものであってはならないというPCを承知で言ったところで、つまらんのだ。
 そのつまらん中にもおれに響くセリーヌなりの言葉があれば……というのにも疲れる。正直なところ。あるいは、「これを単なる政治的、差別的なパンフレットで片付けてはいけない云々」などという擁護のようでないけれど擁護じゃねえのというような小難しい次元もわからんわけで。「読まないで批判してはならない」という話もあろうが、ざーっと目を通したおれがいうに、「いや、別にそうでも……」と。

 私がこの目で見たロシアの貧困は想像を絶するものだった。アジア的、ドストエフスキー的世界、かびの生えた地獄、燻製ニシンとキュウリと密告の世界どころではなかった……ロシア人は生まれながらの牢番、落ちこぼれの中国人、拷問執行人なのだ。そして、ユダヤ人に完全に押さえこまれている。

 ユダヤ人とフリーメイソンと「情報機関」に完全に押さえこまれた世界。文学会も、経済も、政治も……。『ノルマンス』で爆撃を指揮してると思い込んだ画家をひたすらに攻撃し続けるような……読めば読むほど……うんざりしてくる感じがある。

奴隷的になることを拒否するやつは、絞首刑に処すべきファシストだ。

 脳も麻痺してくるので、急にこんなこと言われてもどう見ていいかわからない。

どんなものでも低級だなどとは思えない。もしその素材が堅固なもので、しっかり構成されておりさえすれば、心臓から出た血が、いたるところに、周囲にも内部にも、ちゃんとかよってさえいれば。

 この「どんなもの」は漫画を指すんだが、これはまあわかる。というか、話は変わるがおれはブログを心臓晒しの場と思っているので、べつに素材が堅固でなくても、しっかり構成されてなくてもいいと思うぜ。

 それにあの支那と日本の戦争はどうか? あれも地上のあらゆる戦争と同類だ。その意味するところは、黄色の舞台での世界的闘争の一場面、ユダヤ派と反ユダヤ派、日本の軍国主義者に対するユダヤ=チャイナ=ロシアのコミュニストの死闘の一場面に他ならない……あと何世紀もしないうちに、この世には、この闘争に明けくれるための時間と空間、人間しかいなくなるだろう。ユダヤ人たちの反ユダヤ人たちに対する闘争……

 あとはなんだ、「日本」って文字が見えたらこの調子だ。「なんだってー」てな。はあ。
 以上は『虫けらどもをひねりつぶせ』から。この邦題にも問題があるというか、そういう話もあるらしいが。
 『死体派』の方は『虫けら』よりいくぶんか読み(飛ばし)やすい(……けど翻訳の調子がどうも……)。

 われわれのあらゆる芸術は、グロテスクな姿で、失敗に帰した奸策、不首尾に終わった悪だくみを満載して、理屈をこねる鈍重な屑となって、横たわっている。
 合理的なコミュニズムは、詩人のいない、この文明においては、他と同じように、滅びるだろう。
 コミュニズムは狂気でなければならない。まず何よりも、何にもまして、詩でなければならないのだ。
 詩人のいない、ユダヤ式の、科学的な、理屈っぽい合理的な、物質主義的で、マルクス主義的な、官僚的で、鼻もちならなくて、やくざ者で、うまい文句を言い並べるコミュニズムは、もはや、ただ、完全に飛躍のない、散文的専制政治の、きわめて糞ったれの方式、完全に冷酷な、喰えない、非人間的な、太守的なユダヤの詐欺、奴隷化へのきわめて卑劣な強制、地獄の賭、病気よりも一層悪い治療でしかないのだ。

 またユダヤユダヤ言ってるが……そこんところを抜かしたらどうかな。どうだろうか。セリーヌアナキストとみなすことはできるのかどうか。

おそらく、私は、諸君をも魅惑することになるのかな? おそらく、私は諸君に反吐を吐かせることになるかな? おそらく、諸君は、私を、いやらしい奴と思うかな? 退屈きわまるやつだと?

ところで、なあ、フェルディナン、君はこんな気取ったやり方をやめるつもりはないのか? こんな人を煙にまく行為を? こんな呪いの逆説を? こんな枝葉末節の言辞を?

 ……とか引用したところで、なあ。なあ、フェルディナン、なんつーか困っちまうよ。あんたはたしかに笛を逆さに吹いちまったし、そのせいで非国民の判決を下されて、命からがらの逃走して……、身から出た錆だろうよ。それで、今やおそらく日本語でしか読めないこんな本読ませやがって、まったく、おれは、なんか疲れたし、やっぱりうんざりしたというのが一番しっくりくる。そこに文学としての価値や、ある種の史料、そんなのを見出すやつもいるかもしれねえ。そんだけど、おれにはよくわからんというか、こいつはまったくのアウトじゃねえかって、そう思ったわ。これ書いて、その後、反省も転向宣言もしねえで、自己弁護に徹した精神力はすげえって思うし、そんなんやってる一方で、いや、そうだからこそ医師フェルディナン・デトゥーシュがありえたのか……なんかわかんねえけど、いや、ここまで書いておいてある種の復権を勝ち得るのが信じられないというか……。人間も世界も不可思議だ。まったく。

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