ウッキウキ・ノワールとしての『アクト・オブ・キリング』

 ひさびさにジャック&ベティに向かってたら、近くにケツが割れるようなピンク色のクラウンが停まってて、連れの女に「わい、なんでもええから車一台くれるいうたら、あのクラウンがええわ」言うたら、「絶対いや」とか返しよる。「なんでや。あの車で家の近くまで行って、プップー鳴らしてドライブ誘うで」言うたら、「縁を切る」とまで言いよる。そいでそんあと『アクト・オブ・キリング』見とったら、似たようなピンク色の帽子とスーツ出てきて、やっぱりおれは「ええなぁ」思うて、口元歪ませたんやけど。あと、わい、クラウンもろうても維持できる金ないんやけど。
 そうや、ヴォルテールのしかめっ面したような箴言から始まりよるし、「悪とは何か」みたいなこと主題になっとるけど、わいには「歪んだ笑い」の映画に思えてならんかったわ。主人公のじいさんのウッキウキなダンスから始まって、なんやデブのおっさんがマツコ・デラックスみとうなったり、ときに西田敏行に見えたりしたうえに、選挙に出て落ちたりしよんのや。おまえ、人望も金もなかったんか。まあええ、100万人殺されたうちの1,000人殺したじいさんの、ちょっと不良がするような昔の万引き自慢みたいな人殺し自慢聞いとっても、どうしても「歪んだ笑い」が口元から消えへん。今現在のインドネシア民兵の横暴、政治の腐敗映されとっても、なんやなんかおかしいんや。
 そうや、民兵が赤地のタイガーカモみたいな制服着とるんやけど、こいつは即座に思いうかぶものがあったで。ジェイムズ・エルロイの「アンダーワールドUSA三部作」のタクシー屋や。反共の亡命キューバ人集めてCIAの秘密の援助の元で悪事働いたり、工作したりしよる。インドネシア民兵組織も当時からあったいうし、どっかで世界は通じとるんかと思うたわ。いや、アメリカの反共工作が通じとるだけかもしらんが、フィクションと現実とでタイガーがつながるちゅうのも妙なもんや。しかし、拷問再現シーン見とったら、「エルロイやわあ」と思ったりしたのも確かや。劇中劇、ほんとの人殺しが人殺しやら殺される側の顔しよるん、これはしびれるでぇ。
 そう、この映画、おかしいで。狂っとるちゅう意味で「おかしい」し、笑えるって意味でも「おかしい」わ。かつての共産主義者狩りの殺人者が、ウッキウキで自らの過去を演じていくうちに……ってのは、だいたい観る前からわかっとる流れやろうけど、やっぱりその流れ、激流、垂直落下、こいつは観てみなきゃ味わえへん。こいつは観る価値のある映画や。ドキュメンタリ映画いうジャンルで括ってええかどうかもわからへん。なにかを演じる人々をドキュメンタリとして撮るいう手法ちゅうか構造みたいなんはいくらかあるんやろうけど、そいつを食いつぶすようなおかしさが漏れ出てくる。溢れ出る奇妙なエネルギーがある。人間の悪には弱さとおかしさがついてくるもんなんかもしらんて、そうも思うた。
 わいは映画一本千八百円ちゅう価格についてわりとハードル高くなる貧乏人やけど、これにはその価値があったで。なに、ドキュメンタリだから円盤借りてもでもええとか言っとったら、「マツコ・デラックスかと思ったらピンク・フラミンゴ?」とか、そういう衝撃大スクリーンで味わえへん。
 ちゅうわけで、もう、ずいぶんの評判作で、わいが見たのも時期的に「今更」かもしらんが、やっぱり評判通りや。そんでもって、「わけのわからんもん見せてくれたわ」いう満足感もある。まだ観とらんやつは観に行け、言いたいわ。まあ、観て気持ち悪くなっても知らんけどな。ほな。