リチャード・ブローティガン『不運な女』を読む

不運な女

不運な女

 そう、過去と現在を並行させて語るのは難儀だ。だって、過去も現在もそれぞれにふさわしい役を演じてくれるかどうか、あてにできないのだから。時間はやにわにきみを欺き、きみの理解や、現実が必要とすることに真っ向から対立する方向へ作動するかもしれない。

 本作はブローティガン自殺後、遺品の中から発見された小説だ。ブローティガン最後の小説とも言われているらしい。訳したのは藤本和子さんだ。ブローティガンの翻訳者としてしか知らないが、それで十分だ。
 本作は……、なんなのだろう? おれにはよくわからない。安いウオッカが脳みそを蹂躙して、おれの前頭葉を焼いている中で、あれこれ書けたもんじゃない。そんなおれはもとより『アウリスのイーピゲネイア』も知りはしないし、アガメムノンと言われたところで馬の名前ですか? といったところだ。
 というわけで、おれはこの「日本製のノートに書きつけられた」物語をどう評していいかわからないし、もとより何かを評すことなどできやしないのだった。さらに安いウオッカがおれの脳みそを焼いている今は、まさに語ることなんてできやしない。
 印象くらいは語るか? ブローティガンはなんだかんだいって名声もあるし、女にモテているので羨ましい。しかし、死の影が拭い切れない。娘の結婚に反対するおやじっぷりを見せているが、それもどこか意外な印象を与えている。どこか行き場のない人間、生きる時間を間違えてしまった人間。そんなところがある。そんな人間が、日々を綴る。あるいは、日々を綴る体を取るといったほうが正しいのか。おれにはむつかしいことはよくわからない。細かく死の影を感じる。そればかりだ。そう、おれにとってはそればかり。今はそう思っておこう。今は、といって次があるわけじゃあないんだけれども。

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