セリーヌ『リゴドン』を読む

セリーヌの作品〈第13巻〉リゴドン

セリーヌの作品〈第13巻〉リゴドン

われわれは猫の七倍も生きる。つまり、猫より七倍もバカってわけだ……

 おれは常々自分のことをバカだと思っていたし、年々その思いは強くなっていたんだが、こういうことだったのか。得心がいった。まあ、おれが猫の平均寿命の七倍も生きられるかわかりゃしねえけどさ。

《素敵な大通りじゃないか、え?……こりゃ誰もいないから素敵なんだぜ……これで大勢人がいてみろきっとやりきれないぞ……人って奴はすぐ集まってくるからな……人間が不潔なことをやらかすからじゃない、人間そのものがさ、見られたもんじゃない……死ってのはつまり清掃車なんだな……》

 そういうわけでセリーヌ後期三部作最終作にして遺作『リゴドン』を読んだ。ここまで読んできたのはほとんど意地だと言っていい。トロワ・ポワン……日本語訳の場合三点リーダー連続のシス・ポワンかもしれないが……に付き合うのも。今や『旅』に感じた衝撃も薄れてしまった。べつに『虫けら』で嫌気をさしたとかそういうわけじゃないんだ。なんといったらいいんだろうな。

……誰がアンチだろうとなかろうと……みんなどろどろのお粥んなっちまってるだけのこと! 猫っかぶりの神様がお望みになろうとなるまいと! それが人間の辿り着いた世の中さ、人間の全世界的超原子的な無限の進歩の結末さ、世界中の人間が闘技場にいて観客席には一人の見物人もいやしない!……きれいな特等席で威張ってたシーザーもみんなと一緒に中性子に分解しちまうのさ!

 ひょっとしたら、セリーヌは全部すげえ強力だったのかもしれねえが、2014年のおれが受け取るには、衝撃的でなくなってしまう何かがあるのかもしれねえ。まあ、単純に考えて何十年前の作品だって話もあるだろう。それにおれはセリーヌ先生が丹念に練り上げ、削りあげたフランス語の話し言葉の文体ってやつに直接触れてない。だれかの日本語を経由しちまってる。おれはフラ語がわからんのでそうせざるをえない。そういうところもあるかもしれねえ。でも、その上ですり抜けてくる、ロスト・イン・トランスレーションをすり抜けてくるなにかがあるのかもしれねえ。

……オルガズムなんぞ面白くもない……文筆の、銀幕の巨人たちの大風呂敷の吹聴も何百万かけた宣伝も、強調することってやただ一つ、たかだかニ、三回の尻振り運動ばかりじゃないか……精子の働きってのはあまりにも静かで秘そやかで、一切われわれの目には止まらない……分娩、これこそは一見に価する、仔細に覗く価値がある!……一ミリの動きも見逃さずに!

 医師ゼンメルワイスを論文に書いた医師ルイ・フェルディナン・デトゥーシュ。世界の医師たらんとした志と無力さ、おまけに笛を逆から吹いちまう間抜けさ。あるいは、大戦の逃避行なしのセリーヌがいたならば、どんな作品を残したろう? おれにはちょっと想像がつかないね。猫のベベールは出てくるだろうが。
 どんなに悪態ついたって、嫁さんと猫、それに子供には優しい、弱いものには優しいんだよ、セリーヌ。いくら白色人種が有色人種に侵されてみんな色付きになっちまうって心配するような思想を持ってようと、ユダヤ人を罵ろうと……。どっか憎めないところがあって、必死に読者の姿を、失ったかもしれない読者の姿を探す……自分を滑稽に描いてみせて。そのある種の醜さが……おれを意地にさせてるなにかなのかな。それでも、おれにうんざりさせるなにかもあって、その正体はなんだろうか。おれにはたぶん、ずっとわからないだろう。たぶん。そしてまた、全集は終わらない……。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡