リチャード・ブローティガン『東京モンタナ急行』を読む

東京モンタナ急行

東京モンタナ急行

 山手線の電車が入ってきた。
 それも緑色だが、駅のかたわらの土手のような、ほとんど熱帯的とさえいえる水々しい緑色ではない。電車は、そう、なんというか金属的にやつれている。おそらくは若くさえあった頃のいまは年老いた男の夢のように。いまでは、かつて未来にあったものがすべて過去のことになってしまった男の夢のように、電車は色褪せている。
「ありがとうという彼女の言葉の決定的悲しさ」

 おれはこの描写を読んで、すっかり『東京モンタナ急行』が気に入ってしまった。おれが思い浮かべるのは大船駅で見る京浜東北線根岸線か……もっとも、ブローティガンが見たのはもっと古い車両かもしれないが……。そんなことはどうでもよろしい。『鱒釣り』、『西瓜糖』と合わせて三本の指に入る代物だと思う。とはいえ、『東京モンタナ急行』が壮大なスケールの、なにか虎たちの物語のようなものってわけじゃない。この「ありがとうという彼女の言葉の決定的悲しさ」だって、電車内の席が空いた、譲ろうとした、座らない……といった、はっきりいってどうでもいいような日常の一コマを描いたものだ。それがなんだっていうんだ。おれはそういうのが好きだ。
 そういうわけで、おれはブローティガンの中に東海林さだおのような観察眼を見る。とはいえ、彼は東京のアメリカ人だ。ロスト・イン・トランスレーションのさなかにいる。その彼が見た東京のこと、そしてモンタナの細々としたこと。なにか不思議な魅力がある。ひょっとしたら1ツイートの中に収まってしまうような短い一編から(英語じゃ無理かもしれないが)、ちょっとした小話まで……。たいした話があるわけじゃない。家の電球をすごく明るくしてみたら、いきなり切れたから電器屋に返品しに行くだの、バーを潰してしまった男の話だの、中華料理店を潰してしまった女の話だの……。
 いや、そんなに暗くはない。暗くはないが、明るいとも言えない。なにか単純ではないものがそこにはある。繊細さ、機微、よくわからないが、われわれが生活の中にふと感じるなにかを掴んでみせて、これじゃあないかな? という具合に見せてくれる。

十七匹の死んだ猫
 一九四七年、十二歳だったわたしは、十七匹の猫を飼っていた。その中には雄猫もいたし、母猫もいたし、仔猫もいた。わたしは一マイルほど離れたところにあった小さな池で魚を釣って、猫たちにやったものだった。仔猫たちは青空のもとで、紐にじゃれて遊ぶのが好きだった。
 あれはオレゴンの一九四七年。そして今はカリフォルニアの一九七八年。

 あるいは、人生のなにか些細だけれども重要な出来事をポケットから取り出して見せてくれるような。冬の日の郵便受けが日光を浴びていたせいで温められていたとか、そんなことを。

 手紙はなしに家に戻ったが、気分は愉快だった。郵便箱よ、ありがとう。しばしのフロリダの休暇をくれたんだね。
「フロリダ」

 あるいは、教会のチャリティ・オークションで三十ドルでケーキを競り落とした話の中に?

 昨日、気づいたら、わたしはこの三十ドルのケーキのことを友人に話していたのだが、次にわたしは衝動に駆り立てられ財布を出して、ケーキの領収書を見せた。
 彼は顔におかしな表情を浮かべて眺めていた。
 わたしのなれの果てとは、かくのごときものになるのであろうか? 二十一世紀の街頭で見も知らぬ者たちを呼びとめ、無理に話に引き込んでは、ほとんど判読できないような紙切れを見せる老人に?
「老いたる作家の自画像」

 ああ、残念ながら作家に二十一世紀は来なかった。まだ生きていてもおかしくはない年に生まれたのに。生きていたら、ルディ・ガーンライヒのコートをまだ着ていたろうか。

 そういう男たちはしばしば老人だが、見すぼらしく不格好な服装で、官能の満足を約束する看板を下げているのである。そういう老人たちにそんな仕事をしてほしくないとわたしは思う。何かべつの仕事について、もう少しちゃんとした服装をしてくれたらと。
 でもわたしにはこの世を変えることはできはしない。
 わたしが生まれる前にすでに変えられてしまっていたのだ。
「雨の中で働く老人」

 The quick brown fox jumps over the lazy dog. この世は変えられない。生まれる前に変えられてしまっていた。なんとも悲しいし、絶望的じゃないか。それでも、空色のパンツを履いてボーイフレンドに会いに行く少女の、生涯最高の日がある。そんな光景を見ることもある。いくらかは生きる理由さえあるのかもしれない。そんな気にもなる。なって悪いことがあろうか?

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