ヨコハマトリエンナーレ2014に向けて『華氏451度』を読む

 ヨコハマトリエンナーレ2014。メーン会場の横浜美術館マークイズみなとみらいの間に巨大な穴を掘る。穴の回りには「451」と書かれたヘルメットを被った昇火士たちが常駐している。たまには森村泰昌がいてもいい。そして、いらない本をそこに持って行くと、彼らが火炎放射器でもれなく燃やし尽くしてくれる。その光景はどこか幻想的で美しくすらあるので、思わずみな本を持ってきてしまう。やがてPTAなどが率先して「悪書」をまとめてもってくるようになる。図書館に対して燃やすべき本のリストを提出するようになる。トラックで多くの本が、雑誌が持ち込まれる。片っ端から昇火士たちは燃やしていく。やがてヨコハマトリエンナーレ2014は終了する。ヨコハマトリエンナーレ自体は忘却の海の彼方へいってしまう。まるで印象のない、前回、前々回と同じように。あるいは、忘却したい記憶であるY150のように。しかし、横浜美術館の前の大きな焼却炉だけは残る。本は燃やされ続ける。政治家が命令したわけでもない。独裁者がいるわけでもない。われわれはわれわれを検閲して、燃やしつづける。どこでもない、横浜がはじめたのだ。いずれは日本を、世界をそうしていくことだろう。
 ……というようなことを想像した。おそらくトリエンナーレが忘却されるということだけは現実になるような気がする。おれは森村泰昌さんは嫌いじゃあないし、チケットも買っちまったんだけど(チケット買いに横浜美術館行ってみたら、この「新訳版」が山積みされていた)、どうもそういう予感がするんだ。そして、第1回だか2回だかがすごかったって女の話をまた聞くことになる。どうもそんな予感がするんだよ。

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……ちなみにおれはガチの「言葉狩り」で言葉が燃やされるのを見たことあるかんね。小学校のときに行事として参加させられてたもんね。