踊る少年提督と受動意識仮説〜映画『エンダーのゲーム』

 おれは原作の小説を持っている。押入れの中の、SF文庫本の詰まった100円ショップの収納具の中にある。読んだとは言ってない。
 ……というわけで、どうしようかな? と思いつつも映画を先に観ることに。というか、DMMが送ってくるのだからしかたない。
 さて、視聴。と、その前におれはネタバレに注意しつつWikipediaを叩く。キャストを確かめる。そうだ、おれは2年くらい前からアニメを見はじめて、声優にも興味を持つようになった。一般に外画(というのかな)とアニメでは住み分けがなされているようだが、そうでない場合もある。『エンダーのゲーム』は「そうでない」ケースだった。逢坂良太佐藤聡美白石涼子沢城みゆき桑島法子内山昂輝木村昴……見たことのある名前ばかりだ。おれは吹き替えで見ることにした。しかし、沢城みゆきは少年役もしっかりこなす。やはりすごい。
 なんでこういうキャストなのか、よく知らん。知らんが、日本のアニメなどに(エヴァとか)に影響を与えたとかなんとかいう話はあったような気がする。そう、主人公のエンダー少年は選ばれた子供であり、いじめられっ子でありながらも二度と抵抗できないように死体蹴りをいとわぬ、キレる少年でもある。キラーだ。キラー永田だ。いや、永田じゃないが。
 ただ、おれがどうも見終えても「どっちだったのかなぁ」というところがあって、そいつは「エンダー少年は成長したのかどうか」というところだ。これはおれの読解力(視聴力?)の無さを露呈するところでもある。はたして、エンダー少年が見込まれた素質のままに純粋な宇宙艦隊の提督であったのか、いくつかの衝突や挫折のうちに成長していったのか、どちらだかいまいちわからんのだ。もとから素質もあったし、成長もあったろ、といえばそうなのだろうが、どうも釈然としないなにかが残る。原作を読めばもうちょいわかるかもしれないが。
 それにしてもなんだ、少年提督の踊るような艦隊指揮はどうだ。これはなかなかおもしろい。空中に浮かぶホログラムのiPhone的ななにかをスイスイ手で動かすのは……おれは『マイノリティ・リポート』あたりで初めて映像を見ただろうか、あれである。言葉で指示を与えつつ、踊るように艦隊を指揮する。『銀河英雄伝説』のような宇宙大艦隊を。
 ……って、それってリアルなのか? とちと思う。脳、直結でよくね? という。そのくらいの技術あんだろ、みたいな。うーんしかしあれだ、脳より先に身体が決断をしているという説もある。受動意識仮説とかいうやつだ。宇宙艦隊を指揮するにおいて、手が先に動く必要がある。その速度が求められる。そのための無重力空間の戦闘ゲーム! 身体の強化! 脳では遅いのだ! ……ちょっと無理あるか。
 まあ、せめて少年提督(ちなみにちょっとだけ『ブリキの太鼓』の主人公を思い出したよ)が踊らなければ絵にならないというところもある。おおよそが無人機の戦闘だ。それになんといってもゲームだ。エンダーのゲームなんだよ。肉弾戦なんかねえんだし、そこらへんはさっぱりしている。ものたりぬという人もいるかもしれぬ。あるいは、現実とバーチャルの問題からディック的世界にいけた可能性もある。でも、そうじゃねえんだ。そうじゃなくて、非常にざっくりと、わりと短い時間でサクッと見せてくれる。わりと嫌いじゃないぜ。もちろん、おれが原作既読者であったならば、それゆえのあれやこれやの注文もありそうだけれども、おれはそうではないので。
 てなわけで、わりとサクッとざっくり、ガツンときて、やっぱりそうかとなったところからそう行きますか、みたいな感じで、5点満点なら3.5点くらいじゃないの? ってな感じで楽しめましたとさ。おしまい。
>゜))彡>゜))彡>゜))彡……おれが持ってるのは新訳版じゃなさそう。