十数年ぶりのアフタヌーン

 おれは十数年前に非常に貧しくなったので、週刊誌、月刊誌の類をいっさい買わなくなった。買えなくなってしまうというのはたいした心理的効果のあるもので、立ち読みで読もうとかそういう気すら起こらなくなる。おれはそうだった。
 そんなおれが十数年ぶりにアフタヌーンを買った。理由はよくわからない。はじまって三回目の沙村広明の『波よ聞いてくれ』が目的といえば目的かもしれない。あるいは、アニメがおもしろかった『シドニアの騎士』の原作を見たかったというのもあるかもしれない。「なんか、買ってみるか」。わりとコンビニで逡巡した。
 さて、さすがに雑誌としてのアイデンティティというか、そういうものは生きているな、と思った。見覚えのある「アフタヌーンの漫画家」としては、沙村広明田丸浩史植芝理一北道正幸藤島康介木尾士目ひぐちアサ弐瓶勉赤名修芦奈野ひとしということになる。星野之宣榎本俊二平本アキラあたりは「アフタヌーンの」という感じはしないな、と思った。もちろん、見知った名前も連載されている漫画が違う。藤島康介ですら違う。植芝理一芦奈野ひとしは「絵柄が変わったかなー」などと思った。
 で、この中に一つだけおれが読んでいたときと同じ漫画が載っていたのだ。たまたま「祝・連載150回突破!」回だった『ラブやん』である。なにかこう、昔のおれのアフタヌーンと今のアフタヌーンをつなぐものが『ラブやん』かぁ、という感じである。べつに悪意はないが。『ああっ女神さまっ』が載っていたほうがずっとしっくりくるだろう、という程度の話である。
 さて、「ほぼ初見の連載漫画の途中からの集まり」を買った感想とはどんなものだろう。もちろん、漫画は読める。けれど、やはりなにか困惑してしまって、アニメでやや事前知識のある『シドニア』はともかくとして、「やっぱわからんわ」というところに落ち着いてしまった。買う前は「ひょっとしたら月刊誌の読者になるかもしれない」などと思っていたが、そんなところまったくなかった。漫画がつまらない、などと言う気は毛頭ない。最初から読んでいれば面白いのでは? と思うものもある。ただ、ここから『アフタヌーン』買いだすことはないな、というのが実際のところ。
 となると不思議なのは、大昔に読んでいた、それこそ『コロコロ』にしろ『週刊少年ジャンプ』にしろ、『アフタヌーン』にしろ、『近代麻雀』3誌にしろ、創刊号から読んでいたわけじゃあないんだってこと。それなのに、いつからか買い始めた。途中参加できた。創刊号を手にしたのは『ビーム』くらいじゃないか。そう、途中参加のそのときの心情が、今からすると想像がつかんのだな。「この作品のために!」というくらい強力な作品があったのか、やはり漫画適齢期? のようなものがあって、途中からでもなんでも面白くてたまらなかったのか……。
 やはりどうもおれはもう完全に熱心な漫画読みではないな、という悲しさを少し覚える。むろん、今回載っていなかった『ヒストリエ』(いつ載っているのかしらない)の単行本を買い続けたりはするだろうし、ふと『シドニア』を揃えてしまう可能性はあるが、週刊なり月刊なりの漫画誌を読み始めることはねえだろうな、と。まあ、金がないという理由もあるが。興味がないわけじゃないんだ。ただ、もう熱中はできないんだ、たぶん。それはやはり、少し悲しい。

追記:こんなニュースがあった。

 おれがジャンプを読んでいたとき、『NARUTO』ははじまっていたと思う。『NARUTO』と『ONE PIECE』はあった。だが、おれはこの2作品がすごく長く続くとはまったく思っていなかった。もう少年誌を読む歳ではなくなっていたのだろう。
 ちなみに、今週おれが週刊少年ジャンプを買ったとすれば、『NARUTO』、『ONE PIECE』、『BLEACH』、そしてもちろん『こち亀』を知っている。それ以外は名前を聞いたことがあるな、というのがいくつかあるくらい。『ハイキュー!!』はアニメ好きだったか。しかし、『アフタヌーン』と違うのは、連載陣で「この人は別のを連載していた」というのが……見当たらん。島袋光年だけだろうか。このあたり、週刊誌の、少年誌の新陳代謝だったり、あるいはジャンプ界隈の他雑誌とのシステムみたいなものがあるのかもしれない。