映画『ラッシュ/プライドと友情』、あるいは6輪「たいれる」の思い出

 アンドレア・デ・チェザリス事故死のニュースに「ええっ?」となるくらいにはF1を観ていた時期があった。マクラーレンのノーズの先に「ジャンプ」と書いてあったころだ。セナがいて、プロストがいて、マンセルがいて、ピケがいた。おそらく何度か日本に訪れたであろうF1ブームの一時期に乗っかっていただけだ。小学校高学年から中学に入るころだろうか。雑誌とか買っていたはずだ。そしておれが好きなのは、コンストラクターズ・チャンピオンを争うようなチームではなく、リジェとかだった。何度も書く話だが、おれは青く美しいリジェの車体に描かれたダンサーの影響を受けて、煙草を、ジタンを吸い始めた。あ、それは大人になってからね。

 さて、6輪たいれるの話をしよう。小学校高学年だったか、中学に入ってからだったか、ふと思い出したのだ。小さなころに親から買い与えられたたくさんの玩具(プチ・ブルやったからね)の中に、F1の玩具があったのではないか、と。おれは押入れに追いやられた玩具の箱を探って探って……出てきたのが奇妙な6輪のフォーミュラ・カーだった。しかも「たいれる」なんて書いてある。これはティレルのことだろうか? そいつはわりと大きくて、水を入れると水蒸気を出すようなギミックがあったように思う。ともかく、F1らしき玩具があった。
 その奇妙な6輪車が立派にF1を走っていたのを知ったのはいつのことだろうか。そのころ、インターネットなんて便利なものはなかった。あったらすぐ知れたはずだ。

 なるほど、と。
 そんなおれがF1から興味を失って久しい。いや、完全に失ったわけではない。とはいえ、今現在どんなチームが参戦していて、それぞれどのドライバーが所属しているのか、なんていうことは知らない。知らないが、小林可夢偉の状況であるとか、先日鈴鹿で大きな事故があったことなどは、ネット越しにちょくちょく読んだりはしている。まあ、地上波で放送されることがない限り、再びF1に夢中になることもないだろうが……。
 というていどの人間が、映画『ラッシュ/プライドと友情』を観た、という話だった。ネットで借りてポストで返却なので、鈴鹿の件があったから借りた、というわけではない。偶然だ。映画自体は観たかった。観たかったが、女に「F1とか同じ所をグルグル周ってるだけだからつまんなそう」と却下され、劇場で観ることができなかった一作である。
 ニキ・ラウダジェームス・ハント。コンピュータのように精密で慎重派、対して豪放磊落で派手好きのハント。対照的な両者がぶつかり合う構図。ペイドライバーに大きな事故。今も昔もF1は同じものなのだな、などと思う一幕もある。だが、それ以上にこの対照的な二人の生きざまが……と言いたいところだが、あえて言えば両者とも狂ってる。というか、これは畏敬の念を込めていうのだが、レースドライバーなんてみんなちょっと狂ってんだ。あえて対照的に見せようとしているんだろうけれど、大クラッシュで生死をさまよったあとに、またすぐシーズンに復帰しようなんていうニキ・ラウダが普通の人間のはずがない。その極限のところがあって、あのクライマックスの選択がある。そこにしびれる。
 正直なところ、F1をまったく知らない人がこの作品を見てどう思うかはわからない。わからないが、とりあえず基礎的なところは知っているよというおれにとっては、そんな人間(以上)の織りなすドラマにどっぷりつかれたといえる。そして、極限のところで人間を殺すF1マシンの、レースの映像はまったくそれを邪魔しなかった。いや、むしろそれが盛り上げてくれたといったほうがいいだろうか。水をさすようなシーンがあるとすれば、日本グランプリのときに一瞬映った「規則」と書こうと思ったんだな、と思われる妙な漢字くらいである。
 というわけで、現役のF1ファンならびに、一度はF1に興味を持ったことのある人にはおすすめの一本、てなところでどうでしょう。最後に、ジュール・ビアンキの……とか書くのは我ながら白々しいか。なにせおれは、久々の地上波の鈴鹿も見なかったし、ビアンキというパイロットのこともまるで知りゃしないんだ……。でも、なんというか、なんだかな。

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