ブルースクリーン3

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かつてブルジョワ的な通俗さがあつたやうに、また革命的な通俗さもあることを知るのが肝心だ。そして、最も健全な、また最も安定した理論であるにしても、通俗さがそれにもたらす劃一的なものは、決して一つの作品に大きな價値や永續性を與へるものではない。だが、それに反して、未來の問題を豫感させるやうな新しい疑問をもたらせることや、また未だ提出されたことのない問題にたいして解答を與へるところに、一つの作品の價値があるのだ。私が心から慴れるのは、無條件にマルキスト的精神の匂ひをつよく漂はせてゐる多くの作品―今日に於けるそれらの名聲は、その精神の賜ものだらうが―軈て次の時代の人々に、やり切れぬ病院の臭ひの如きものを感じさせるのではなからうか、といふことである。私は思ふ。もっとも価値ある作品は、そんな懸念からすっかり解放されたものであると。
アンドレ・ジイド『ソヴェト旅行記』

ウメはいつ日本に渡来したのか? 奈良時代、八世紀以降と推定している本も少なくない。が、古墳から発掘されている証拠があるのだ。わたしは弥生時代に稲作とともに渡来したと考える。ちなみに、縄文時代の遺跡からは出ていないそうだ。

神の手というものがあって、わたしの髑髏が掘り返される。わたしは久々に受ける太陽の光を眩しく思う。だが、わたしの髑髏は最初に喧伝されていたものとは出自が違うということで、どこかに捨てられて顧みられない。わたしの髑髏にリスかなにかが棲みついたら愉快なことだろう。

わたしは精神を未来にも過去にも飛ばすだろう。ただ、今、ここが気に食わない。人の一生など十年、百年、千年、とくに理由もなくずれても良さそうなものだし、ここにいるのも適当なものだが、とりわけ気に食わない時代に生まれているという実感というのはどういうことだろうか。むろん、おれがほかの時代を知って言っているわけじゃあないのだが。

ゴムでできたような玩具というものに、なにか思うところがある。プラスチックより軟らかく、なにかのキャラクターを模して作られたゴム。あまりダンディでもないし、郷愁の対象としては頼りなさそうだ。だが、そこがいいともいえる。

(太字は引用者による)

今日は金曜日なのだし、いつもよりたくさんのお酒を飲もう。ただし、もうわたしはなかなか酔えなくなっている。主治医には内緒だよ。一滴も飲んでないことになってる。新しい睡眠薬がなかなか効かないのもそのせいだろう。わかっちゃいるけどやめられないんだ。植木等が「こんな国だったのか」と絶望した、その国にわたしは生きているんだ。

未来といっても百年後くらいがいいのだろうか。十年なんてやめてくれ。たぶんわたしが惨めに死んで何年後かというくらいのことだ。百年なら問答無用に死んでいる。問答無用というのがいい。

あと何年か生きるというのも傲慢な発想だ。七十二時間後に殺されるって言われてる人もいるんですよ。どこかに命をかけてみたいとか、なんて面倒な。部屋を出るのも億劫なのに、飛行機なんぞに乗って遠い国に行くなんて、まあ想像もつかないことだ。

それにしても、わたしは生きていて、なにか楽しいことの一つでもあったのだろうか。ライフハックだかなんだかに、その日にあったいいことを三つメモしておこうとかいうのがあったように思う。わたしがそんなメモをつけはじめたら、白紙のメモ帳を片手に三日くらいで冷たくなっていることだろう。一つも思いつかない日々。生まれてからどれだけ経つ。空白のメモ帳。成長がない。それなのに退化はする。

飛行機が落ちてどこかの海の底で、わたしの髑髏にタコか何かが棲みつく。悪くないことのように思える。馬の死体から鰻を捕まえる。わたしには鰻を食う金がない。金がないというのはまったく不自由なことだ。首がないのと同じこととはよく言ったものだ。わたしの首より上はリスかタコのもので、もうわたしの管轄するものではなくなっているのだ。

空飛ぶ飛行機が必ず墜ちるという妄念にとらわれてどれだけ経つのだろう。妄念ではない、夢だ。ただ、わたしは飛行機に乗っておらず、地上から落ちてくる飛行機を見ては、毎度「今度こそ本当に墜ちたんだ」と思うのだから、わたしの夢の中でいちいち死ぬパイロットも乗客も迷惑なことだろう。

そういうわけで、わたしはわたしが飛行機の墜ちる夢を見た回数だけ生まれ変わり、そのつど飛行機が墜ちて死ぬという業を背負うことになった。できることならパラシュートを背負いたいのだが、業だというのだから仕方ない。約款にそう書いてあるのだ、小さな字で。ただ、わたしの頭はリスかタコの棲み家になっているので、死ぬのもたいして恐ろしいことではない。目も見えず、耳も聞こえなければ、落下の体感があるのみ。

いや、落下だって恐ろしいだろう。余計に恐ろしい。恐ろしい、恐ろしい。わたしはメモ帳の一ページ目に「恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい」と書いて閉じる。明日は西の街からおばさん一家がやってきて、自動車でピックニックに行くんだ。大好物のラズベリーのサンドウィッチだて食べるんだ。ところで西の街ってどこだろうか? 目が冷めてもわたしは冷たいアパートの部屋にひとり。坂道の脇に建っていて、陽の光が入ってこない。だれになにが起ころうと、わたしになにが起ころうと、わたしは冷たくなっている。そしてわたしは、やり切れぬ病院の臭いをかいで二度寝するのだ。