更に真善美を加えまた更に之を遺伝し行く

 東日本大震災のときに、ひきこもりのやつが避難しないで部屋にひきこもり続けて家ごと流されたんだけど、生きて帰ってきたという話があった。われわれがもっともっと天災に無力だったころ、そういった例がもっともっとあったのかもしれない。そしてそういうやつがなんだかんだで子を作り、そういう方向に行きがちな遺伝子がわれわれ人類の遺伝子プールのなかに残ったりしているのかもしれない。今現在の社会にとって反社会的、非社会的とされている性質を有する人間が有する遺伝子のいくつかは、今現在の社会にとってではないいつかどこかで生き抜くのに有利に働いた結果かもしれない。

 とはいえ、たとえばおれのような反社会的、非社会的なクズの血が残りつづけるのだろうか、おれにはよくわからない。人類何万年の歴史だかが、たかが百年単位くらいの資本主義かなにかによって大きく左右されることがあるのだろうか、と。とはいえ、われわれは遺伝子についてのあれやこれについて、人間の脳のあれやこれについて知るにつれて、それが淘汰にいくらかの方向性を与えているような気がしないでもない。資本主義かなにかによってその社会に生きにくいものはますます血を残せなくなっていくような気がしないでもない。

水平線の高まる事によって社会の全分子は天才の個性を解するの能力を開発せられ、天の真善美なる男女は老いたる社会の分子によっては崇尊せられ若き分子よりは恋愛を以て報酬せらる。男子はその理想の真善美とする女子を得んが為にいよいよその真善美を磨き、女子はその理想の真善美とする男子を得んが為にまた益々その真善美を加う。しかして社会の中において真善美の最も優れたる個性が雌雄競争によって子女を更に優れたる真善美に遺伝して残し、遺伝によって加えられたる真善美の子女の更に最も真善美において優れたる個性が、雌雄競争によってまた更に真善美を加えまた更に之を遺伝し行く。

北一輝国体論及び純正社会主義

 あと二世代か三世代くらいで社会を構成する人類はかなりかわったものになっているのだろうか。簡単にかわりはしないよ、という気もする。人類有史以来、やってることはかわりねえじゃねえか。とはいえ、この資本主義の社会というのはかなりの盤石のように思えるし、その内で淘汰をくり返し、その外を淘汰していく、終わりなき機関のように見える。その機関の中で遺伝についての大いなる技術の進歩が進めば進むほど、おれのようなものは淘汰されていくのだろうし、おれのようなものは未然に防がれていくように思える。その技術の進歩についてブレーキは効かないだろうし、アクセルはべた踏みだろう。

 おれのようなものが未然に防がれるのは悪くない。おれはとても単純で古風な、あるいは無知の科学の信奉者としてそう思う。この世に苦しみの再生産は必要ない。あるカタストロフのための万が一の道具など必要がない。この世は必要とされるもののみで構成されるべきであって、そこには美しい安定があるばかりでよい。