中舘英二がヒシアマゾンで逃げたとき

中舘「いい騎手人生でした」5度胴上げ - 競馬ニュース : nikkansports.com

 馬事公苑で養成された最後の世代。下手で劣等生だった男を一流に押し上げたのが「逃げ」だった。スランプだった新人時代、師匠の加藤修甫調教師に「どの馬でもハナに行け」と言われた。「先生の言葉に加え、逃げが最もリスクの少ない乗り方だから」。通算1823勝の43%の793勝が逃げ切り勝ち(4角先頭含む)だった。「速い馬を邪魔せず走らせるだけ。いつも逃げるとひやひや。追い込む方が楽」。

 おれが競馬をはじめたのは、増沢末夫が引退してしばらく経ったあとだった。「逃げ」の代名詞といえば中舘英二その人だった。ゲームでも現実でも「逃げの中舘」だった。

 中舘の相棒といえばツインターボだろう。けれどおれは、晩年のツインターボしか知らない。ちょっと間に合わなかったのだ。それでもツインターボはハナを切った。鞍上は中舘だったろうか。思いの外、ツインターボに中舘は乗っていない。

 中舘の乗っていた馬といえば、奇妙なことにヒシアマゾンが代表だろう。ヒシアマゾンは逃げる馬ではなかった。牝馬らしからぬ豪脚を見せる追い込み馬だった。その鞍上に中舘がいた。

高松宮杯|1995年07月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com

 ヒシアマゾンが逃げた日があった。断然の一番人気を受けた高松宮杯だった。するするとヒシアマゾンが先頭を行った。おれはおかしなものを観ていると思った。この世界の関節が外れてしまったような気になった。小回りの競馬場、鞍上は中舘、しかし走るのはヒシアマゾンヒシアマゾンが逃げてしまった。逃げてしまったヒシアマゾンはどうなるのか? 直線先頭からさらに追い込み馬の脚を使って大差勝ちするのか? 否、現実は甘くなかった。馬券にも絡めなかった。

 別冊宝島かなにかで中舘も「自分はなにをやっているのだろうと思った」と述懐していたと思う。なにか人生にはそういうことがある。まだ若かったおれにはそう思うよりほかなかった。気づいてみたら、なにか大きな誤ちを犯している。けれど、馬群の隊列は定まり、ヒシアマゾンは先頭を行く。中舘にとってどんな二分だったのだろうか。そこには薄ら寒い恐怖があった。落とし穴のようななにかがあった。

 その後の中舘英二とおれ。おれはすけべな穴狙いだから、ローカルで中舘の人気薄を買ったことも多かったろう。たまには当たったかもしれないが、おおよそ外れたことだろう。中央競馬歴代九位の勝ち星を挙げたジョッキーの馬券でも、おおよそ外れた。そんなものだろう。

 逃げの中舘。福島の中舘。しかし、おれの中ではヒシアマゾンで逃げてしまった中舘。この印象を上回る思い出はない。用心したところで、もうスタートは切られている。一瞬の判断で流れは決まってしまっている。そして、都合のいい結末なんてありはしない。気づいたら馬群に沈んでいる。人生にご用心。

 とはいえ、おれはそんな教訓を得ながら、べつに活かすこともなく人生に流されてしまった。おれは中舘調教師の馬の馬券を買うことがあるだろうか。……買おうと思えば百円でも買える。だが、百円買ったところで、そこに人生の陥穽なぞ待ち受けていないのだ。あの日、逃げてしまったヒシアマゾンの鞍上にいた中舘のような、想像のつかない心持ちを、おれは一生知ることはないだろう。