意識が高すぎるインターネットは資本主義が無敵だから居心地が悪い

意識が高すぎるインターネットになったなと思い、おれのような意識の低い人間にはとても居心地が悪いと思うようになったのは1年前からだろうか2年前からだろうか。結局のところインターネットではない領域で最強なのはお金であって、資本主義は最強なのであって、最強の前にインターネットの牧歌的なところも、闇のあるところもすべてブルドーザーで整地されてしまうのも当然の帰結なのである。

人間を評価するすべてはいくらお金を持っているか、いくらお金を稼げるかという点にあって、それ以外はすべて欺瞞か虚妄である。なにか別の価値があるなどと吹聴する人間がいれば、それは詐欺師かよくない馬鹿であって無視を決め込むべきである。金がなければ人は首を吊って死ぬしかないからである。

畢竟、金の力が強いためにインターネットは整地され、無敵の資本主義が闊歩し、いかに金に替えることができるかということばかりの場所になってしまった。べつにおれが夢見たインターネットの世界があったわけじゃない。あるいはインターネットが変える世界の理想像があったわけじゃない。でも、おれのような意識の低い人間、金のない人間、金を稼ぐ力を欠いた人間にとって、金のあるもの、金を稼ぐ力のあるもののためのインターネットは居心地がわるくなってしまった。

むろん、広告費だの通販の規模だので言えば昔のインターネットは貧しかったともいえる。だが、そういう数字とともにユーザーの意識が変化してしまったようにも思う。あるいはインターネットユーザーが遍くあらゆる人々を取り込んでしまったがために、一般的な無敵の資本主義が大多数になってしまったのであろう。

金のある人間、金を稼ぐことのできる人間には能力がある。その能力を活かしてインターネットでもますます金を稼ぐ。その方法はあからさまでもあり、あるいは隠れてもいる。金を稼ぐことのできる人間には高い意識があり、ますます金を稼ぎ、ますます意識が高くなる。かしこい人間は金を稼ぎ、人脈を作れる人間は金を稼ぎ、発信力のある人間は金を稼ぎ、この世は金を稼ぐことに満ち満ち、インターネットも金を稼ぐことに満ち満ち、より高い能力のある人間たちしかいなくなる。

ますますこの世はより高い能力のある人間たちのものになり、怠け者、無能者、金を稼ぐ能力に欠いた人間の居場所はなくなっていく。やがて怠け者、無能者、金を稼ぐ能力に欠いた人間は子孫を残すことなく、社会のお荷物となって醜態を晒した上で死んでいく。おれもそのうちの一人にほかならない。だからといっておれは無敵すぎる資本主義に石や卵を投げつけたり、ブーイングしたりはしない。そんなことは無駄すぎるからだ。おれは有益なことも無益なこともしたくない。なにもしたくない。そういう人間には、この世は少々ハードルが高すぎるし、ちょっと騒がしすぎやしないかね、などと思えてしかたない。そんなことを愚痴るのがせいぜいである。