さようなら、亀田興毅くん

www.nikkansports.com

おれが地上波で放映されるボクシングのタイトルマッチを、手元で素人採点しながら観るようになったのは、亀田興毅の例の試合がきっかけだったといえる。ボクシングなどほとんど知らなかったおれが、それなりに楽しめる試合を観るきっかけを作ってくれた、その点では感謝したいと思う。

とはいえ、おれは亀田一家の下品さ、下劣さ、見苦しさ、すべてが大嫌いだったということは書いておきたいと思う。ある世界のチャンピオンを仮にも名乗るものがこんなものであってはならないというような気にさせられたのは確かだった。ひどくうんざりさせられたのも確かだった。もう、これで、少なくとも長男亀田興毅の姿をこれ以上見ずに済むのは歓迎すべきことだと思う。まあ、ほんとうにこれで引退するのかどうか知らないが。

だが、その前提というものも書いておくのがフェアだろう。ボクシングの選手というものは皆たいしたものである。相手を殴り倒すことばかり考えて生きているような人間が、毎日身体を鍛えて筋肉をつけ、こちらにいかに苦痛を与えるかということを練りに練って目の前に立つのである。これはおそろしいことである。いかに相手が噛ませ犬と呼ばれる格下のものであっても、走ったり、パンチの練習をしたりしているのはたしかなことだろうし、試合ともなれば殴ってくるのである。人間、あまり殴られたくはないものだ。そして、自らも走ったり殴ったりの鍛錬をして、プロテストというものに合格したりしなくてはならない。それだけのことをできる人間というのは限られているだろうし、たいしたものなのだ。

だが、それを前提にして、おれはやはり亀田一家を唾棄すべき存在だと言う。仮にもプロフェッショナルである。おれのような素人の目にまで晒されることによって、その富を得ている人間である。しからば、おれのような素人が唾棄すべきと言う資格があってもよいではなかろうか。

とはいえ、だ。とりあえず最後の試合とされている対河野公平戦は、少なくともボクシングのタイトルマッチらしかったようには思える。あきらかなローブローのあとにダウンをもらうなんてよくできている。口ではK.O.を言いながら、ディフェンスとスタミナで逃げまわるボクシングではなく、近距離で打ち合ったのも評価したい。顔がボコボコにされていたのも悪くない。

亀田の試合に名勝負なしという意見には同意するが、少なくとも最後の試合(今のところ)はそれなりにやった。馬鹿みたいなTBSの実況・解説抜き、中立地アメリカで、ボクシングをやった。それは認めよう。さて、これを受けてあと二人の弟はどのような道を歩むのだろうか。正直なところ、知ったこっちゃない。「歩むのだろうか」とか書いていて、ちょっと虫酸が走った。

まあ、おれは座椅子に座って酒を飲みながら人間同士が殴りあったりするのを観るのが好きな底辺の皇帝様。亀でもなんでもいいのでせいぜいやってくれというところがある。リスペクトの気持ちがないといえば嘘になるが、すごくあるというのも白々しい。ところで、年末に行われるPRIDEの後継イベントとされているやつ、あれはどう放送されるのだ? おもしろいのか? ああ、しかし、おれに今年末があるのだろうか。よくわからない。おしまい。