おれの中から「楽しい」が無くなってどれだけ経つのかわからない

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暗い部屋はおれの身体を芯から冷やし、外を歩けば寒風が肌を撫で、相変わらず貧困の恐怖に打ち震えている今は2015年の冬という。

心療内科だか精神科だかの医者曰く「あなたのような境遇であればこのような精神状態になるのは当たり前だ」という。中島らもの本だったか、「会社をクビになり、無一文で、妻子にも逃げられたら、抑うつ状態になるのは正常な反応なのだ」というようなことが書かれていたのを思い出す。おれは正常だ。おれのまわりが狂っている。

医者のプリントアウトする処方箋に、おれのまわりを治す方法は書いていない。それは医者の領域ではない。かといって、行政、福祉の領域でもない。それはおれの人生の領域、おれが数々の選択肢を誤り、ときには逃げ出してきた代償。おれは報いを受けなくてはならない。あらゆる救いの網の目から漏れるほど些細で底のない恐怖。

おれの中から「楽しい」が無くなってどれだけ経つのかわからない。おれには「楽しい」がなくなった。「楽しかった」という記憶もなくなった。「楽しみにしている」こともなくなった。苦しいだけの人生の何を生きるというのか、おれの頭は死ぬことでいっぱいになっている。

おれは成仏を夢みる。浄土を夢みる。浄土では四六時中コカイン・パーティーが開かれているに違いない。アイドルと一緒にコカイン・パーティーだ。おれはコカインどころかパーティーすら参加したことのない人間だが、きっとコカインの力でみんな分かり合えるような気持ちになるはずだ。ラヴ、そしてピース。

コカインなんてケチなことをいうな。ひょっとしたらヘロイン・パーティーだ。おれは大麻すらやったことがないが(前にも書いたが、初めて心療内科だか精神科を訪れたとき、医者はおれの大学中退歴を見て「大麻?」と聞いてきた。なぜなんだぜ)、ヘロインはすごいらしい。

ヘロイン - Wikipedia

静脈注射によって摂取した直後から数分間にわたって続く「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものと言われ、時には『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』と、また時には『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。

最高の状態じゃないか。うっとりしてくる。浄土とはこのようなものに違いない、南無阿弥……。ちょっとまってくれ、ヘロインは実在している。西方浄土にあるわけじゃあない。この現世に存在しているのだ。

これが禁止されて、下手すれば西方浄土に行くよりも入手が難しいというのはどういうことだろう。人間、生まれてきたからにゃあ、このくらいの体験してみなくてなんなのだろう。一生に一回くらい、人間みな等しく体験してみるべきじゃないのか。依存症? 中毒? 副作用? 知った話か。道端に捨ててある豆腐のかけらほど価値の無い人生に一発、必要じゃないのか。

しかしまあ、生まれつき血液の中をコカインやヘロインのごときものが流れている人間もいることだろう。おれはそういう人間ではないからわからないが、そういう人間にとっては気持ちよくなる薬物など必要ないのだ。そういう人間が偉くなって、おれのように血液の中を悲観と苦痛のゴミが流れている人間のことをかえりみることなく、すばらしい薬物の世界をこの世から排除しようとする。せいぜいアルコールで我慢しろ、こいつもなかなかの代物だぜ、という具合だ。

だからおれはそのようにしている。意識が落ちるまでアルコールを摂る。毎日毎日アルコールを摂る。そしてなにかの病気になって死んでしまうとか、宿酔の影響で自転車の運転を誤って転んで死んだりしないかと、そんなことばかり考えている。疾く死ばや、疾く死ばや……。

顕性房云、我は遁世の始よりして、疾く死ばやと云事を習しなり。さればこそ、三十余年間、ならひし故に今は片時も忘れず。とく死たければ、すこしも延びたる様なれば、むねがつぶれて、わびしき也。 

『一言芳談』