アニメ『艦隊これくしょん』とはなんだったのか

 上に書いたとおり、おれは『艦これ』を回避して生きてきた。が、アニメを見てしまったのである。そして、1クール最後まで見てしまったのである。わりと最後まで2クールものだと思っていたのはここだけの秘密である。続編があるらしいので似たようなものだろうが。
 して、おれは『艦これ』に撃たれただろうか? 大破しただろうか? 撃沈されただろうか? 答えは否、である。ここでおれは安堵の溜息をつくのである。べつに貴重でもない人生だが、アニメ1クール分の時間を費やして視聴したものにあまり興味が持てなかった。これは残念に思ったり、あるいは怒ったりしていい事態なのではあるまいか。しかし、おれは安堵したのだ。おれは『艦これ』に足を突っ込むことはない、と。
 『艦これ』ファンがこのアニメ版をどのように観たのか、おれにはまったく知らぬところの話である。ただ、おれにとっては「2期があるならあるで観るけど」くらいのものだった。そういう話である。それだけの話である。おれはアニメ『艦これ』にはまらなかった。悲しいことに、そして喜ばしいことにそういう作品だった。おれは金が無いので、『艦これ』がらみにまで出費しろというのは無残なことである。その無残に自虐的な歓びを感じながら沈んでいくのも悪くないのかもしれないが、今のところ浮いてしまっているのである。浮いたところでどこまで生きる航路か知らぬが、ともかくは浮いているのである。
 そして、生意気なことに「そもそも艦船の擬人化などは『MC☆あくしず』の1枚絵だか2枚絵で十分ですよ」とか、「『蒼き鋼のアルペジオ』のメンタルモデルみたいのがよかったんじゃないの」とか感じてしまったのである。いや、正直なところを言えば、おれの愛してやまないすばらしい『ストライクウィッチーズ』と比べてしまったのだ。なにかを良くないというのに持ち出したくないほど好きな作品なのにもかかわらず、だ。
 なにせ、元ネタを共に第二次世界大戦に持ち、ミリタリーで少女で島田フミカネが関わっている。空と海だしなにか比べたくなるところがある。そこで比べてみて、アニメ『艦これ』の艦むすというのはいかなる存在かということからしてよくわからんからいかんのだ、などと思ってしまうのである。世界は、人間はどうなっているのかさっぱりわからんのである。おまけに提督がなんなのかこれも不明なのである。その点で、『ストライクウィッチーズ』世界はこれでもかというほど(ユーラシア大陸東部、というか中国、朝鮮半島の扱いはぶれているが)明快であって、未知なる人類の敵があって、魔法少女が戦うわけだ。モデルとなったパイロットの設定も、性格は人間が人間のそれを引き継いでいるようなもので単純といえば単純だし、自動車事故で死んだから車が苦手といったていどのことである。
 一方で、船が人間に、というのはむつかしいものがある。なにやら一度通過した運命、艦船としての記憶があるような、そんなところを匂わすところは悪くないのだが。そこはなにやらゾクッとするところがあって嫌いじゃない。あの敵の存在がどういうものであるか、というところも気にはなる。でも、そこのところの匂いがそんなに強くない。少なくともこの1クールではわけがわからぬまま放っておかれた感じがするのである。そうだ、先も書いたがそもそも艦むすってどういう存在なのか、わからんのである。そう考えていくと、作品で描かれている世界全体が異様で不可思議なものに思えてきて、おれはそのような異様さを好まないわけじゃないので、あれ、ひょっとすると続きが気になるかも? と思えてくる。ひょっとすると、続編で世界の秘密が暴かれていく、そのところにSFが存在するのであれば、おれはアニメ『艦これ』のファンになるかもしれない。世界の構造がひっくり返るのだ。PKDの世界だ……と、あらためて言うがおれは原作ゲーム、二次創作、いっさい知らない。アニメのみからの連装もとい連想である。
 しかしまあなんだかんだ言ったところで、やはり今のところは、一端は完結した作品としてアニメ『艦これ』を評価するよりほかないのである。そして、その評価は「足を突っ込む気にはなれない」なのである。「手を出す気にはなれない」なのである。円盤はもとより、ゲームに手を出す、コミックスに手を出す、フィギュアに手を出す、そういう気は起こらなかった。まあ手を出すだけの金があるかという話だが、決して酸っぱいブドウではないということは正直なところである。
 というわけで、おれは続編でテレビ放送があるならそれまで何もせずに待機、というところに落ち着く。金が無いので好きなものが増えないことに歓びを感じるということには悲しさが伴うが、ともかくもそういうところなのである。おしまい。