『四月は君の嘘』はわりとよかった

 なぜだがはじめに言っておいたほうがよさそうなので言っておくが、おれは『のだめカンタービレ』は原作をはじめいっさい知らない。
 さて、『四月は君の嘘』である。これは佐倉綾音種田梨沙のラジオをはじめ、わりと満喫したといっていい。ただ、出演者たちが言うようにキラキラしすぎている、こんな青春はありえない、というのは確かである。ポエムすぎるのもそうである。ただ、泣ける、というのはどうだったろうか。他人が泣ける泣ける言うと泣けないとかそういうのはとくにないのだけれど、そこまでかしらん、というのが正直なところである。
 とはいえ、メーンとも言うべき演奏シーンなどもよかったし、キャラの造形が急にデフォルメされるといった緩急もあって飽きさせず、学校嫌い、男女の恋愛嫌い、青春嫌い、未来のある若者嫌いのおれが毎週楽しみにしていたのだから、これは悪くないんじゃないかと思った次第である。
 ……と、書いてみて思ったのだが、おれのような人間が真の意味で見られない、見たら死ぬ、というくらいのところまでキラキラで青春ではなかったということの裏返しなのではないか? おれの小さな器のなかで「わりとよかった」に収まってしまっているということは、突き抜けた何かはなかったのではないか。そのように思う。そのように思ってしまう自己卑下というものについて考えると暗くはなるが、そういうところもある。おれが受けきれなかったからこそ、世間のまっとうな人間には評価される、そういうねじれというものはなかろうか。はて、さて。
 『四月は君の嘘』の話だった。まあそういうわけで、楽譜も読めないおれが演奏シーンには太鼓判を押すし(『坂道のアポロン』と比べてどうだった……ろう?)、宮園かをりはかわいかったし、まあどんでん返しというか、そういうのもあったりで、今期はノイタミナもう一枠見なかったけど、単枠指定くらいの作品だったかな、とは思ったのだった。おしまい

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