僕が『走ることについて語るときに僕の語ること』について僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 1走について4〜6kmを最低でも週3回、できれば毎日。ヒンズースクワットを毎日50回。これがおれの最近の運動である。おれは医者が止めるにもかかわらずまた走り始めてしまった。なにせ少し体重が増えてきたからだ。酒の飲み過ぎかもしれない。酒の飲み過ぎに走るのは2重でよいことがある。単純にカロリーを消費できること、そして酒を飲むのを自然と忌避するようになること。これである。
 とはいえ、はじめに書いたようにおれは医者に走ることを止められている。

 急激なダイエットで摂食障害強迫性障害、と言われた身である。とはいえ、体重が増えることは2重によくないことがある。1つはおれの双極性障害をよく馴らしているジプレキサが飲めなくなる可能性があること、2つに細い顎まわりに肉がついてしまい睡眠時無呼吸症候群が悪化すること、これである。
 ゆえに、おれにはダイエットが必要であり、ジョギングが必要だということになる。

 おれは2ヶ月で7kg落としたこともあるし、やり方はわかってる。そのやり方がやり過ぎだったこともわかっている。だから、今回はあまり食餌制限をしていない。極端に炭水化物を摂らないということもないし、お好み焼きだって毎日食べている。大安心である。スローに走るように、スローに体重を落としていく。それで、おれの体重計がおれの体年齢をおれの実年齢より下げることができればそれでいい。今はプラス1歳という情けない結果が出ている。これをマイナス1歳にでもすればそれでいい。
 見方によっては、走ることの愉楽にまた負けてしまったとも言える。医者はウオーキングをしろというが、歩くのでは物足りないし、時間がかかりすぎる。自転車というのも手かもしれないが、ロードバイクにまたがるというのは、スポーツ眼鏡を掛け、ヘルメットをかぶり、手袋をし、ライトや空気圧の点検をし、いざというときのための装備を確認し、念のため財布とiPhoneを持ち、よっこらしょと部屋の中から持ちださなければいけない。おまけに、かなりの時間漕ぎまわならなくてはあまりカロリーも消費できない。
 その点、ジョギングはどうだろう。眼鏡を換え(いつ買ったかも忘れたルディ・プロジェクトの4万円もする代物である)、iPhoneを装着する(すばらしいRunkeeperと音楽のため)のは同じだが、パッと着替えて、ちょっと事前運動をし、サッと外に出ればそれでいい。その気軽さがたまらない。そして、走ってるうちに楽しくなってくる。この楽しさは、自転車だったら最低でも50kmくらい走らなければ出てこないものだ。それがわりと簡単に出る。悪くない。……とは言い切れない。
 水島広子先生曰く。

 肥満双極性障害予後不良因子であることが報告されていますし、運動には気分安定効果がありますので、適度に運動したり、健康な食物をとったりすることはプラスと考えられます。

 ただし、あまり体重のことを気にしすぎるのはお勧めできません。摂食障害というリスクがあるからです。双極性障害の方が摂食障害を併存していることは少なくありません。

……また、双極性障害の方が摂食障害になるのは、うつ状態に対する自己治療の試みであることが少なくありません。ダイエットをして痩せれば自信がついて気持ちが明るくなるだろうと思うのです(実際には、自信がつくどころか、単に二つの病気に苦しむ結果に終わります)。

水島広子『対人療法でなおす双極性障害』を読む - 関内関外日記(跡地)

 いや、大丈夫、おれにはこの知識がある。ひさびさに走り始めて、5、6kmで息が上がらないから10kmも平気だろう(たぶん平気なのだが、今の気候なら)と、思いつつも距離をおさえている。コントロールできている。そう思おう。
 これが、おれが「走ることについて語るときに僕の語ること」だ。じゃあ村上春樹はどうなのか? そんなもの買って読めばいい。そして、こんな一節にも共感する。

 だから僕はランニングをまわりの誰かに勧めたことは一度もない。「走るのは素晴らしいことだから、みんなで走りましょう」みたいなことは、極力口にするまいと思っている。もし長い距離を走ることに興味があれば、放っておいても、人はいつか自分から走り出すだろうし、興味がなければ、どれだけ熱心に勧めたところで無駄だ。

 おれはマラソンほどの長い距離にまで興味はないが、やはり勝手に自分から走りだした人間だ。だれかに走れと言われたわけじゃない。運動部の経験もなにもなく、まずは自転車で1日で200km近く勝手に走ったりした。そしてジョギングをはじめたりもした。運動部の経験もなにもないのに、だ。
 が、おれは走ることをまわりの誰かに勧めてしまったことはある。おれのまわりの誰かといえば、おれの20年上の女しかいない。彼女は最初ジョギングなんてやる気がしないといっていたのに、春夏秋冬、朝早起きして走る人間になってしまった。まあ、たまたま自分から走り出す人間の一人だったのかもしれない。
 運動部の経験もなにもないし、体躯にも恵まれていないので、おれのジョギングなどランナーからすれば笑止千万だろう。自転車についても同じだろう。ただ、おれは走りたいなにかがある。勝手にそう思う。それが強迫性障害のなすところかどうかおれには判別しがたい。だが、おれは走っていて脳が軽やかになるのを感じる。脚の筋肉が絶頂だったころ(クロスバイクで走り回っていたころ)のことを思い出し始めてるのを感じる。せっかく走っているのに、余計なものは食うまいという意思を感じている。悪いことはない。今が悪いのに、いっそう悪くなったところで何が変わろうか。変わるならば引き締まった身体を手に入れたい。精神が悪いのならば、せめて身体は健康でありたい。そう願うのみである。

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……ピンク色じゃないけどこれを新たに買い求めた。おれが以前走っていたときは3GSを使っていたのだ。今、3GSは会社でラジオとして余生を過ごしている。
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……ジョギング用のイヤホンはこれである。これは新たに買い求めたのではなく、死蔵されていたもの。
愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

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……感想文を探したがなかった。ずっとずっと前に読んだのだろう。