恐ろしい、恐ろしい『ゴーン・ガール』……の些事

 結婚五年目。表面上は幸せながら、中身は崩壊気味の夫婦。ある朝、妻が失踪する。ちょっとした有名人でもあった妻の失踪は世間の注目を浴びる。そして、残された夫にとって不利な要素、つまり妻殺しの要素が次々に出てきて……。というミステリ、サスペンス、そして人間の恐ろしさ。人間の結婚の恐ろしさ。恐ろしい、恐ろしい。とくに主演女優ロザムンド・パイク(映画館に貼ってあった『しあわせはどこにある』という映画のポスターに『ゴーン・ガール』の〜と紹介されていた。その映画の男の主演はサイモン・ペッグで、そちらは『ワールズ・エンド』。でも、ロザムンドさんも『ワールズ・エンド』に出てんだよな)はすごいすごい。ベン・アフレックも、その双子の妹の人も、女性刑事の人も、ビタっとはまっててすごいすごい。
 ……というようなことは言い尽くされているのだろうで、気になった些事いくつか。

血液型

 失踪を届けた直後の、夫に対する警察の取り調べ。そこで妻についていくつか質問するが、最後にカマをかけるように「血液型は?」と。答えは「知らない」。これである。血液型を気にする(自分の血液型をよく知ってるのは?)日本だけ、みたいことを血液型占い(血液型人格判断)批判の文脈で見かけるが、「ああ、この文脈で出てくるくらいには」という。知っていて当然、という質問じゃないという感じなのだけれど、だからといって、HLAの型を聞くほど無茶な質問でもない、という。まあ、そんだけ。

SNS

 『バードマン』なんかでも思ったんだけど、SNSが当たり前のものとして組み込まれてる。失踪後に、夫がうっかり笑顔で知らない女にツーショット自撮りされて、それがネットに広まり、ワイドショーに取り上げられてバッシング、なんて流れがある。で、昭和脳のおれがそこに抱く違和感。ワイドショーと世論、みたいなのはなにか普遍的な感じがするが、SNSはどうなんだろう。具体的にFacebookがどうのTwitterがどうのと出てくるわけじゃないが(『バードマン』はもっと出てた。最初もSkypeの呼び出し音だし)、こういうのってどこまで続くのだろうか。一過性じゃないだろうか。そんなふうに不安になってしまう。これは変な話であって、現代を舞台にしていりゃ現代の車に乗り、現代の電話を使い、現代のネットを使う。昭和の映画を見れば、昭和の車が走っていて当然だ。でも、なにかSNSについては盛衰も早く、ひょっとしたらすごいスピードで陳腐化したりするんじゃねえのと。だからこの映画の凄みになんの影響があるのかというと、べつにそうたいしてないのかもしれないが、まあ、勝手に心配してしまうところがある。勝手に。

その日のあの男のアリバイ

 これはストーリーの核心のひとつに近いところの話なんだけれど、あの女はあの男があの日のアリバイについて調べた上でああいうことにしたのだろうか、と。もちろん、あの女は非常に頭がキレキレなので、描かれていない部分で確認済みという可能性が高いし、想像もできるが、そこでアリバイがあったらあのストーリーは成り立たないよなーとおもった。

以上。

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

……原作未読。上下巻ということは、映画に描かれていないことも多いか?