全部まちがってんだから〜『アメリカン・スナイパー』を観る

 この映画に愛国も反戦もなにもない。逆にいえばすべてがある。すべてが冒頭にある。アメリカ軍に向かって子供が対戦車兵器を使おうとする。主人公が射殺する。今度は母親が使おうとする。主人公はこれも射殺する。これによりアメリカ軍の兵士の命は救われる。
 だからなんだというのだ。これをもって反戦ではないし、愛国でもない。そもそもだ。そもそも子供が人を殺そうとするのが間違っているし、それによって殺されるのも間違っている。さらにそもそもだ。人が人を殺そうとしたり、人が人に殺されたりするのが間違っている。殺していいのは自分だけだ。そもそも狂っているんだ。それが前提なんだ。その上で、女子供を殺すのだ。なにせ動きが鈍いから殺しやすいからだ。その上で、「伝説」たる狙撃手の主人公が腕に装着するオリジナルの弾丸の予備ベルトに関心が行き、なんの狙撃銃を使っているのだ? などということに関心が行くのだ。160人射殺というと、二次大戦のエース・パイロットで言えば「公爵」ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケや「アフリカの星」ハンス・ヨアヒム・マルセイユくらいなのだなあ、などと思うのだ。
 間違ってはいけない、そもそも間違っているのだ。その上で、その下で、それを飲み込んで、観るべきなんじゃあないだろうか。なにせ監督は『父親たちの星条旗』のクリント・イーストウッドなのだ。そもそもだ、そもそも例えば『プライベート・ライアン』を観て愛国心に燃えて戦場に出たいと思う人間がどれだけいるのだろうか。そういう話だ。上陸艇のドアが開いた瞬間、ドイツ軍の掃射でぶっ殺される。それが戦争だし、それはかなわん。「それでも正義の戦いはあるのだ」、「尊い犠牲なのだ」などと真顔で言う人間とは、たぶんおれは言葉が通じないだろう。
 とか言いつつ、おれにそんなことを言う資格があるのか? というところもある。言うまでもないが、これは米の話である。少なくとも一方はアメリカの話だ。もしもこれがおれの住む日本の話だとしたら、いったいどのように感じるだろう? おれはそう思わずにはいられなかった。なにも昨今の政治情勢だのデモだのなんだのを意識して言ってるわけじゃあない。そもそも、これが自分の国の自分と同じ国籍の人間の話だったらどうなんだ? という話だ。牽強付会にあれやこれやを持ってくるつもりはぜんぜんない。もしも同じ国の人間の話だとしたら、「そもそも」とか言ってられるのか? 特攻の標的が浜松町の世界貿易センタービルディングだったらどうだったんだ? ということだ。もしもそうだとすれば、おれはこれを愛国的な映画だと称揚する可能性だってある。十分にある。おそろしい話だが、たぶんそういうことだ。おれは膂力に乏しいちびの中年だが、志願して兵隊になろうと思うことだってあるかもしれない……。
 そう思わせるところが、意図してかしないでかしらないがイーストウッドのえらいところだ。まったくもって、えらいもんだ。とんでもないもんを放り投げてきやがったなって気になる。覆いかぶさって仲間を助ける美談の主になるのか、ならんのか? そもそもお前はそこに立てるのか? と。いやはや参った。もちろん、シリアの元メダリストという敵狙撃手との対決なんていう見せ場を用意しながら、それでも容易に答えを出せないもんをもってくる。こいつは大したもんだ、おそろしいもんだ。まったく。



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……過去に観たクリント・イーストウッド作品を並べようと思ったが、これ以前に並べたものが見つからなかったので割愛。