おれの会社には営業がいない

おれの会社には営業がいない。営業らしきものを多くする人はいるが、さりとて営業だけやっているわけではない。そんな会社がよく立ちゆくものだと思うが、実際のところ立ちゆかなくなりつつある。それでも仕事というものが来るのは、成果物を見た人からの問い合わせであったり、お客様がべつのお客様に勧めてくれるなど、ありがたいことによる。ライバルとなる会社が気に食わないから、お宅に頼む、という話もある。とはいえ、もちろんそれだけでは立ちゆかなりつつあるので、年度末を前にいろいろと種をまいたようである。他人事のようだが、おれは対人関係におそれをもつ精神病者なので、あくまでそういった仕事は避けていいことになっているのである。そういうことになっているのは甘えにすぎないが、おれは死ぬまで甘えていたいのである。

で、まいた種が予想以上に芽吹いてきたために、年度末が忙しいことになっている。忙しいといっても、一般社会の一般的な分量かもしれないし、あるいはそれ以下かもしれない。それでも、年度末に比べたら、ほかの季節はなにをやっているのだろうというくらいの感じはある。年度末に忙しくなかったら、おれは金がなくてとっくに首を吊っていることだろう。

おれの会社には営業がいない。サイトからの問い合わせや、とても優れた人材(おれではない)のおかげで成り立っている。営業がいたらもっと仕事があって、もっと儲けられるのか、人並みの生活を遅れるのか、給料が毎月ちゃんと出るのか、おれにはわからない。営業の人にはちゃんと給料を払わなければならないだろうし、人件費というのはばかにならない。いずれにせよ立ちゆかなくなるし、無駄に年齢だけとっていくおれに次の行き先などないのだろう。おれはいずれ金がなくなって首を吊っていることだろう。ただ、あと三ヶ月くらいは生きられるだろう。それだけ。