おれの魂はいまだにひきこもっている ―TVタックルを観て

f:id:goldhead:20160220203250j:plain

ビートたけしのTVタックルで、高齢化するひきこもりを特集していた。増える30代、40代のひきこもり、ゴミ屋敷、社会復帰の困難さ……。

おれはすっかりひきこもりの魂で、高齢化したひきこもりの魂で画面を見ていた。たけしは戸塚ヨットスクールとも仲が良かった(?)し、こういう取り組みには理解ありそうだよな……。そうか、30を超えるとつらいのか……。うえー、ヘコー、ヘコー(←『闇金ウシジマくん』で袋をかぶらされた人が息できなくなってるときの音)。おれも社会復帰しなくては……。できるのか……。

とはいえ、おれは一応、社会人である。身分だけは正社員で(ろくに給料が出ないことは多々ある零細づとめの底辺だが)、人間を分類した場合、今、おれが「社会的ひきこもり」や「ニート」に入れられることはないだろう。元ひきこもり、であるとしても。

そうだ、おれには「元」の意識がない。大学を2年くらいで不登校になって、ゆうゆうと実家でひきこもっていた。ひきこもっているおれは健康的で、親がおれがひきこもっているのを忘れてたことすらあった。

だが、それも親の事業の破綻で一気に崩れ去った。土地も家もなくなり、一家離散。おれも自活しなくてはならなくなった。なんとなく、ソファーで横になってダビスタやってたら、濁流かなにかに流されて働いていた、ということである。

そんなおれには「なにかに背中を押されてひきこもりを脱した」、「だれかに引き上げられて脱ひきこもりをした」という意識はいっさいない。なにがなんだかわからないうちに一人暮らしすることになり、ひどく寒い思いをした。そして、今も生活レベルは変わらない。ここはおれのいるべきところではない。本来おれは、まだソファーで横になってダビスタやってるはずなんだ。昼夜逆転の規則正しい生活をして、たまに親に金をせびって競馬に行って、ヒンズースクワットを欠かさず(髀肉の嘆をかこったので)……。

だからおれはもう、こういう話題を見ると、ひきこもり当事者、あるいは社会復帰挑戦中の人にしか感情移入できない。おれそのものだと思う。思ってしまう。そしておれは、社会復帰をしなければと、よくわからぬ焦燥感に襲われる。ヘコー、ヘコー。

_____________________________________________

 

d.hatena.ne.jp

 

d.hatena.ne.jp